2018 予想 第4回サウジアラビアロイヤルカップ(GIII)

 いよいよ秋の府中開催がスタート。先陣を切る重賞、2歳府中マイルGIIIサウジアラビアロイヤルカップを予想する。かつて2歳OP特別のいちょうSとして施行されていたが2014年に重賞格上げ、2015年に現在の名称へ変更という経緯を持つ。
 さて、天候やそれにともなう馬場状態がよく読めないが、さほど影響を与えるものではないらしい。それよりは開幕週であることを考えた方がよい。たとえば、秋の府中開幕週の日曜には毎日王冠(GII)が組まれているが、あのウオッカが2008・2009年と出走した際には2年連続でハナを切って、この馬のキャリアの中では異例の逃げの手に出たことを思い出してもらえるとよいと思う(2年連続2着だったが)。それくらい騎手や指示を出す調教師も開幕週であることに意識的だということだ。
 今年のサウジアラビアロイヤルカップの出走馬は(まあ例年そうだが)新馬や未勝利を勝ち上がった馬がほとんどだ。前走の位置取りや、そこから想定される脚質も重要だが、素質や現時点での能力が高いと思える馬を素直に買った方がよい結果に繋がるだろう。
 で、今回のメンツの中には明確な逃げ馬が実は1頭も存在しない。同じく差し馬っぽいのはいても追い込み馬と呼べるような馬もいない。頭数も8頭なので多分、団子状態で終始レースが進むか。となれば中団に位置取り、直線迎えて好位から抜け出すような馬が理想的だが、開幕週だから先行馬と思われる馬にも注意したい。

 


3連複フォーメーションを想定

◎4グランアレグリア
 夏の6月のこととなるが牡牝混合の新馬戦を圧勝。着差こそ2馬身だが走破時計が非常に優秀で、同舞台の府中マイルを1:33:6。これは府中マイル2歳オープンの平均の走破時計が1分34秒台であることを思えば驚異的だ。上がり3ハロンも33.5と決め手も備える。鞍上はルメール。この馬に逆らうのは難しい、強いてマイナス材料を挙げれば4ヶ月の休み明けということくらい。連は確実と思う。牝馬でもやれるだろう。

◯コスモカレンドゥラ
 前走1800m、データとして馬券圏内率が高い距離短縮組である。府中マイルは中距離馬並みのスタミナが要求されると言われるように、距離短縮組は本当によく走る。この馬の場合、前走の距離だけでなく舞台が中山だったというのも、殊に開幕週においては大きなプラス材料になるはずだ。恐らくは先行するだろうが、粘れる体力は十二分にある。

→出走回避を確認したので予想から取り消し、▲、☆をそれぞれ一つ上位の印へ変更(10/04 20:10)

2アマーティ
 8月の中旬に新潟のマイルでデビュー、その時にくりだした末脚は33.3。平坦で日本で一番長い直線である新潟外回りだから出た数字であることは確かだが、全出走馬の中で一番の上がりの時計とあっては注目せざるを得ない。 
▲1シャドウエンペラー
 新馬戦はクビ差の争いとなったが逃げ馬を捕まえて差し切り勝ちは数字以上に強く見えた。阪神の重馬場で34.7の上がりを出すのだからタフさはあるだろう。

 

△6サムシングジャスト
 馬自体は新潟外回りで上がり33.5秒を出しているように優秀。しかし屋根が変わって横ノリになったので色んな意味で怖い。鞍上がどう乗るつもりか全くわからないが、おさえ。
△7セグレドスペリオル
 前走の阪神マイルの勝ち方が好印象。3馬身離した着差もさることながら、上がり3ハロンは35.0(稍重)でそのレースの上がり2番手が35.4なので一頭だけ異次元の脚を使っていたことになる。鞍上の川又がネックかもしれないがそのせいで人気は落ちると思うし、ヒモに入れておくと面白そう。
△3ドラウプニル
 前走500万下出走組はほぼ来ないというジンクスめいたデータがあるのだが、データクラッシャーになれるか。モレイラ鞍上、左回りの中京マイルで新馬勝ち、上がりもそこそこ速いし、さすがに切るのは勇気が要ったのでヒモには入れる。

 

買い目
3連複フォーメーション 7点
4→1,2→1,2,3,6,7

GOOD LUCK!

 

2018 『また会う日まで』柴崎友香(河出文庫) 感想

 2006年度三島由紀夫賞候補作。
 生まれ育った大阪に住み続け会社員をしている二十代後半の仁藤有麻(読みはユマ)が主人公。今は東京に上京しているが、かつて大阪の高校で同級生だった友人達と会うために一週間の休暇をわざわざとって遊びに行く。その七日間を繊細なタッチで描写していく。
 この東京旅行の最大の目的は、友達以上恋人未満のような妙な親しみがある存在だった鳴海くんに、高校の修学旅行の夜、言葉では言い表しがたい阿吽の呼吸のような、何というか心が通いあったような奇妙な感覚が一瞬間あって、その時に鳴海くんは本当は何を考え、どう感じていたかを確かめることだ。一応はこのことを明らかにしようという動機を軸にして小説が展開していく。
   
 柴崎友香といったら日常小説、と読まれるのだが本作の場合は厳密に言えば日常小説とは言えない。巻末解説の青山七恵もめざとく触れているように、大阪に拠点を置いて生活している有麻は東京に来てみればストレンジャーだ。有麻にとって東京という街は非日常空間であり、加えて大阪を離れて東京で暮らす友人達の暮らしぶりも有麻にとっては非日常的だ。あくまで有麻は旅の人であることを忘れてはならない。
 また柴崎友香はカメラアイの作家だともよく言われるのように、東京の風景、例えば都心の高層ビル街も、浅草寺や東京タワーといった定番の観光スポットも、何の変哲もない都内の住宅街も、全て旅の人の視線と感覚を通してしつこいくらい丁寧に描かれている。思えば東京一極集中のこの時代にあって、あえて遠くの土地の力を信じてサーガを紡いでいく中上健次阿部和重のような作風や、あるいは東京に住む若者を直球で描いていた吉田修一とも違った、意外に珍しい外部の人間の目が見て感じた東京が描写されている点も、本作の得難い成果であり魅力だ。
 
 東京という場所はもちろんのこと、過去とは違う今という時間を生きるかつての同級生達も、場所だけでなくて時間までも旅したような有麻の目には今まで知らなかったこととして映っている。
 もう高校時代のあの頃と同じではないという、至極当然だがその目で直接確かめなければわからないことを実感していく過程を書いたものだと言えなくはないか。
 実際、作中では過去を思い出すシーンが頻繁に出てくるように、本作のテーマは後ろ髪を引かれている過去にケリをつけることだろう。

 鳴海くんの家に泊まったりまでしたのに、修学旅行の夜の奇妙な一瞬のことについて尋ねることができたのは東京旅行の最終日となった。待たしただけあって有麻と鳴海くんの会話は長めに書かれているが、はっきりとした答えは語られていない。けれど二人の間でこの問題は解決したということはわかるのだ。
 というか二人の修学旅行の夜の感覚はどう頭をひねっても言語化できない微妙なものだし、読み終えた私もどうしてもうまく言えないのだけど、二人が何を納得しあったかは理解することができたし、それですっきりした読後感を得られたのだから不思議だ。
 また会う日がもしあるならば、今度は過去ではなく今を生きる者同士としての関係が始まるのだろう、そういう予感を覚えることができた。
 文章技法で言う所の故意の言い落とし、あえて核心を言わずに周囲を細かに書いて肝心なことを悟らせる、修辞学で言えば黙説法となるのだが、それが抜群にうまい気持ちの良い小説だった。

2018 『私の恋人』 上田岳弘(新潮社) 感想

 
 
著者 : 上田岳弘
新潮社
発売日 : 2015-06-30
 2015年度三島由紀夫賞受賞作。あの又吉直樹の『火花』と決選投票の末、これを退けて受賞した。
 
 エピグラフには『宇宙戦争』(著H・G・ウェルズ)からの引用がなされているように、SF的発想力を動力源とし、独自の人類学というか人類史解釈を交えた持論まで持ち出す壮大なスケールの世界観を構築し、と同時に現代文学らしい叙法・技巧の工夫――本作は複数の〈私〉を登場させるスタイルが採用されている――が掛け合わされた大変エキセントリックな小説で、又吉直樹を負かしただけのことはあると思うし、三島賞受賞作らしい小説だったと思ったし、もっと率直に言うとぶっ飛んでいるけど凄い小説で傑作と言ってよいだろうなと思えた内容であった。
 私的な事だがSF文学はちょっと不案内で、『宇宙戦争』はさすがに名前くらいは知っているが小説の方を読んでいないし映画化されたものも観ていないような有様なので、誤読が多少あるかもしれないが気にせず感想を書いてみよう。
 
 本作では《三段階》という現象が重要な役割を持っている。
 
 一通り、設定を書く。
 ●主人公の〈私〉だが、この〈私〉は2010年代の現在、三回目の人生を送っている。
 (1)一回目の〈私〉は、およそ10万年前に生きていた原始人であるクロマニョン人で、ほぼ全知に近い予知能力というか神に等しい頭脳を持っており、人類の過去、現在、未来のほぼ全てを予知していて、その様子を洞窟内に独自の文字を発明して書き残している。
 (2)二回目の〈私〉は20世紀前半にドイツで生まれたユダヤ人で、名をハイリンヒ・ケプラーと言い、ナチスによって強制収容所で虐殺された。ハイリンヒだった〈私〉は、クロマニョン人だった頃の〈私〉の記憶や予知能力や並外れた頭脳など全てを継承している。
 (3)三回目の〈私〉は、現代の日本人で、名を井上由祐(読みはユウスケ)と言い、会社員として生活してる。井上由祐としての〈私〉もハイリンヒと同じように、10万年前のクロマニョン人だった〈私〉、ナチスに虐殺されたユダヤ人のハイリンヒだった〈私〉の記憶や予知能力や並外れた頭脳など全てを継承している。
 
 ●ほぼ全知に近い〈私〉が、10万年前の一回目の〈私〉だった時、退屈紛れに想像した――予知でも予測でもなく願望した――理想の〈私の恋人〉、これがトリックスターのごとき役目を負う。
 10万年前の〈私〉が想像した〈私の恋人〉は以下のような条件と段階を踏む女性だった。
 (1)〈純少女〉、恵まれた肉体、美貌、頭脳を持ち、豊かな環境で育った彼女は他の人間達=人類にしてやれることをひたむきに探し、順次、実行していく。
 (2)〈苛烈すぎる女〉、純少女時代にやっていた事は甘かったとし、富や権力といった力が世界の不均衡を均す、つまり他の人間=人類を救うことになると思い立って行動するがやはり満足いかない。
 (3)〈堕ちた女〉、それまでの人助けをやめて呪術や祈祷に明け暮れるスピリチュアルな集団に入り、それらの儀式のために服用した幻覚剤で薬物中毒者となり男達に次々と輪姦され、相手にした数はゆうに百人を超し、倒錯的な快楽に溺れるも、やがてそのことにも疑問を持つ。
 〈私の恋人〉は三段階のそれぞれの転換点で「そうかしら?」と疑問を呈してまた別の道を探す。加えて『「今」でも「ここ」でもない場所、そこから私の身を案じている、優しい私の恋人』(p.20)と記される。あくまで予知ではなく〈想像〉した女性だということが本作を読み解く最重要なキーとなる。ほぼ全ての出来事を予測できる〈私〉にとって、唯一〈私の恋人〉の言動は予測が難しいと作中冒頭に書かれている。そもそも〈私の恋人〉は想像の産物であって、予知・予測したものではないので、いつ現れるかどうかも〈私〉には唯一わからないのだ。
 本作を一文で要約せよと言われれば「予知できない存在だが優しく、そして人類を救うであろう〈私の恋人〉に出会うために時代を超えた三人の〈私〉の旅」となるのだが、このことは最後のまとめで改めて述べたい。
 
 ●あともう一つ重要な《三段階》として〈行き止まりの人類の旅〉というサブプロットめいたものがある。これは秀才の家系に生まれた高橋陽平という元医者が独自に考え出したものだが、もちろんそれくらいはほぼ全知の〈私〉が既に予知している。その〈行き止まりの人類の旅〉は、冒頭に述べた人類学、あるいは人類史の独特な解釈による上田岳弘の持論を採用したようだ。内容は以下の通り。
 (1)一周目の〈行き止まりの人類の旅〉は、人類が生息地域を拡大し、地球上に遍く拡がった時を持って終わりとする。その過程においてネアンデルタール人クロマニョン人に殺戮、駆逐されて滅ぼされたといった事が起きた。この一周目は、10万年前の《一回目の〈私〉》の時代と合致する。
 (2)二周目の〈行き止まりの人類の旅〉は、地上全てを生息地域として収めた人類同士の争い、世界を最高効率で運用するルールを決める事とされる。ルールとはすなわちイデオロギーの類だ。大航海時代を迎えて発生する他民族を抑圧して支配する植民地政策、つまり支配側の民族、支配側の国家のイデオロギー=ルールを押し付けることが全世界で行われていく。ルールに従わせるために異なるルールを持つ部族、人種、国家は滅ぼされるか服従させられた。
 数々の戦争、帝国主義の勃興と二度の世界大戦における覇権争いの果てに最終的な勝利者イデオロギー=ルールが決定し、全世界を覆う。これは民主主義と資本主義というイデオロギー=ルールを持つアメリカが、その成果であるかのように、人類全てを滅亡させることも将来的に可能となる技術によって開発された原爆=核兵器を二発投下したことをもって終了したとされる。
 この二周目は、つまり第二次世界大戦時、枢軸国側と連合国側の覇権争いの戦争が起こった頃がハイライトとなるわけだが、これはナチスによって、絶滅させられようとしたユダヤ人という人種に生まれつき、実際、強制収容所に連行され、虐殺された《ハイリンヒという二回目の〈私〉》の時代と合致する。
 (3)三周目の〈行き止まりの人類の旅〉は、1995年のWindows95の発売をその出発点とする。この三周目の旅は2010年代の現在も進行中のもので、要はIT関連といったコンピューターの飛躍的な進歩を指し、やがて作中で〈彼ら〉と呼称される、恐らくはAIの事だろうが、人類の知能を超えたAIが、人類を征服して終えるだろうというもの。
 この三周目は、現代の日本人である《井上由祐という三回目の〈私〉》の時代と合致する。
 
 〈行き止まりの人類の旅〉の終わりの直前、節目節目に〈私〉が生まれているのは偶然ではない。三周ある〈行き止まりの人類の旅〉の終わりはいつでもバッドエンディングだ。血生臭いジェノサイドをもって行き止まりに達してしまうのだから。そうして、そんな時に〈私〉は三回も生まれ落ち、理想の〈私の恋人〉を想って止まない。
 
 だいぶ言及するのが後ろ倒しになったが、現代の日本人として生まれた《井上由祐という三回目の〈私〉》は、オーストラリア人のキャロライン・ホプキンスという美女と日本で出会い、交際しようとしている。というのも、キャロライン・ホプキンスは理想の〈私の恋人〉の条件を全てクリアした人生を歩んできており、三回も生まれ変わっては理想の〈私の恋人〉を追い求めた〈私〉にとって最初で最後のチャンスだからだ。
 おまけにキャロライン・ホプキンスは高橋陽平と〈堕ちた女〉から脱出する頃に知り合い、〈行き止まりの人類の旅〉の一周目、二週目を象徴するような場所をあたかも聖地巡礼するかのように経巡る旅に同行しており、はっきりとは書かれないが恐らく三周目の〈行き止まりの人類の旅〉の終末を予測している。これ以上ない理想の〈私の恋人〉候補なのだ。 
 
   *
 
 まとめに入る前に、冒頭で触れた叙法・技巧の工夫というのは、この三回の人生を送った〈私〉をめぐる有り様のことだ。
 本作は形式だけ見れば一人称の〈私〉の一人語りということになるのだが、読んでいる時の感覚としては三人称に限りなく近い。それもそのはず、語り手たる〈私〉は一回目の人生の時から全世界、全時間をほぼ見通せる超越者(神に近い存在)だ。神に近いとはすなわち、書き手たる作者のごとき存在であることを意味するが、しかしながらその作者的存在の語り手をあくまで作中の一登場人物たる〈私〉にあえて押し込めた。
 このことにより(ほぼ)全知の存在=神=作者の図式に意識的な書き手がよくやるメタフィクションの手法を自ら封じているし、そしてまた読み手側へもこの手の小説にありがちなメタフィクションとして読解することを巧妙に封じている。今までの文学理論を用いたテクスト分析は恐らく通用しない。よってうまく言い表せないが、新しいタイプの語り手の創出を目指したのではないか、と私は推測する。そうとしか言いようがない。
 作中に出てくる〈私〉とは、三回ある人生を総合して貫く一人の〈私〉であり、且つその時代の時間軸の叙述における行動主の〈私〉でもあって、一人の〈私〉でありながら三人分の〈私〉でもあるという、ひどく複雑な現象が起きている。
 《一回目の〈私〉》、《ハイリンヒという二回目の〈私〉》、《井上由祐という三回目の〈私〉》の三人分の〈私〉が〈私〉を外側から語っていて、三人称だか一人称だか断言できないのだ。この書き方は非常に刺激的であり、前衛的であった。
 単に壮大なスケールの世界観を持った、というだけならただのSF小説になる。そうではない事は、のちの芥川賞受賞作となる又吉直樹の『火花』を始めとする2015年度の三島賞の他の候補作、すなわち岡田利規の『現在地』、高橋弘希の『指の骨』(新潮新人賞受賞)、滝口悠生『愛と人生』(野間文芸新人賞受賞)らを退けたことが証明している。打ち勝った理由の一つにはこの刺激的で前衛的な叙法・技巧も当然、加味されただろう事は言うまでもない。
 
   *
 
 さて、ほぼ全知と注意して書いてきたのは、繰り返しになるが、予測できない唯一の例があるからだ。それは〈私の恋人〉の言動である。
 何でも予知し、予測し、知り得る〈私〉にとっては過去、現在、未来のほとんどはつまらない、何故なら結果がわかってしまうからだ。未来からタイムスリップした人間が結果を知っているギャンブルをやって勝っても楽しくはないのと同じことだ。
 しかし〈私の恋人〉だけは違う。〈私〉が願望し夢想した理想の〈私の恋人〉は〈純少女〉、〈苛烈すぎる女〉、〈堕ちた女〉の《三段階》のステップを踏むという条件があった。それをクリアした初めての女性であるキャロライン・ホプキンスは、最後の〈堕ちた女〉の時にでも「そうかしら?」と疑問を呈して、初の《四段階》目に達した女となるわけだが、10万年前から想い続けた〈私〉はその《四段階》目の女を予測できていない。そして〈行き止まりの人類の旅〉の三周目にある現在においても、〈私〉はその先を予測できていないのだ。三周目の次のフェーズに移行できるのは「そうかしら?」と疑問を呈して、今や《四段階》目の女になったキャロライン・ホプキンスだけだろう。
 全知に近い存在の〈私〉の予測も限界を迎えるが、その先まで行けるただ一人の女であるキャロライン・ホプキンスは終盤においては、まるで人類が希求する救世主メシアのように、全世界を包み込むような慈愛を持つ聖母マリアのように書かれていく。
 だからだろう、エピローグめいた部分での〈私〉が〈私の恋人〉に必死に語りかける様子は切実極まりないのだ。三周ともバッドエンディングを迎える〈行き止まりの人類の旅〉、しかしその次の四周目まで挑める《四段階》目の女となった〈私の恋人〉はこの時にあっては、〈私〉にとって、人類にとって、眩しい光として尊く、強く、美しく、そして愛おしい存在として描き出されているのだ。

2018 予想 第20回阪神ジャンプステークス(J・GIII)

 障害レース戦線も秋を迎えて、暮れの大一番である中山大障害にむけて動き始めるのだが、先陣を切るのは阪神障害コース3140mで施行される阪神ジャンプステークスである。
 コース傾向としてはとにかく前有利で、それぞれ位置取りが決まって縦長になった時に、7番手辺りにはいないと厳しい、というものがある。
 もう一つに阪神ジャンプステークスという障害重賞の傾向もあり、これがなかなかはっきりしていて、まず1番人気は過去10年3着以内率100%、勝ち負けになるかは別として1番人気が馬券圏内から外れることはない。で、1番人気が必ず絡むなら固い決着が多いのかというと、実は違うという所がこのレースの面白いポイント。4番人気以下の伏兵が絡むケースが多いのだ。1,2,3番人気で決まった年は過去10年で一度もない。
 軸は1番人気、そしてヒモの方は波乱が起きることを期待して、なるべく網を広めに投げておきたい。思わぬ高配当(障害重賞にしては、だが)がとれるかもしれないのだ。

 

3連複フォーメーションを想定
◎4アップトゥデイト
 もはや語ることもないと思うが、1番人気は確実で、馬券にはほぼほぼ絡むと見てよいはず。小倉サマージャンプでも言及したことだが、やはり勝ちを取りこぼしやすく、アップトゥデイトは去年の阪神ジャンプステークスは勝っているものの、一昨年つまり2016年の阪神ジャンプステークスは2着とやっぱり勝ちを取りこぼしている。脚質も理想的でこのメンツなら楽に勝ってもらいたいものだが、3連単馬単で1着固定は意外と危険だと思った方がよいだろう。

 

◯2マイネルフィエス
 こいつが小倉SJで落馬しなければ私の馬券も当たっていたはずなのだがそれはさておき、やや後方から攻めるタイプではあるが、馬券圏内には十分届くし、実際にそういった戦績となっている。2017年の阪神ジャンプステークスでは3着だった。アップトゥデイトの次点となるとやはりこの馬だろう。
▲7シゲルクロカジキ
 障害重賞初挑戦となるが、本レースのメンツを眺めるとこの馬はそれなりに実績がある、と言える。長らく障害未勝利から脱せずにいたが、今年の3月に阪神障害コースで初勝利、続く阪神の障害OPで3着、前走福島の障害コースで行われた障害OPを差し切り勝ち。阪神の障害コースと相性が良さげな点も好材料だ。もしかしたらアップトゥデイトを倒すのはこの馬かもしれない。

 

△3メイショウダッサイ
 前走の小倉の障害未勝利戦の勝ち方、二番手追走から1と1/4馬身離した点を評価しておさえ。
△6サムライフォンテン
 昨年の10月に障害未勝利を脱してから中山大障害中山グランドジャンプなど強気に使ってきて結果こそ出てないが、重賞レベルのレースの場数を多く踏んでいる点を評価した、良い感じの人気の無さで、この穴馬が来てくれたら嬉しい。このメンツならば、障害未勝利を勝ち上がった直後の馬たちよりは信頼性が高いと思っている。
△8シゲルスズキ
 シゲル軍団の人気のない方の馬だが阪神の障害コースで障害未勝利を脱した点、あとは小倉サマージャンプで3秒以上離されたが11頭中の6着という点、前走も小倉の障害OPを4着している点を評価。3着に食い込む可能性は十分ある。
△9ラヴアンドポップ
 2歳時の際にはコスモス賞を勝ち、札幌2歳Sでは4着、その後は低迷して障害戦に活路を求めてきたタイプなので、若かりし頃の平地実績も加味して、おさえておきたい。

 

買い目 3連複フォーメーション
4→2,7→2,3,6,7,8,9 の9点。

GOOD LUCK!!

2018 予想 第3回紫苑ステークス(GIII)(秋華賞トライアル)

 秋競馬の始まりを告げる重賞、かつてオープン特別だったがGIIIに格上げされて今年で3年目の3歳牝馬限定中山2000m、紫苑ステークス秋華賞トライアル)を予想する。
 予想する上で注意したいのは、まず開幕週であること。芝の状態は良い、天気の影響もさほどないようで、普通の馬場として予想してよさそうだ。そしてトリッキーな中山が舞台ということ。中山実績がある馬が望ましい。

 荒れると思っているので手広く流す。

 

◎14ノームコア
 4戦して(2.0.2.0)と、着外なし。中山実績はまずアスター賞(500万下)を勝利、フラワーC(GIII)は3着。前走はフローラSを3着。脚質は逃げだろうが、番手に控える競馬に徹していて結果を残している。中山実績もさることながら、意外と前走フローラSの内容が良かったように思えるのだ。フローラSは春の府中開幕週で施行されるレースなので開幕週キラーというかなんというか。府中の長い直線でも3着に粘った内容、そして脚質から判断して、中山開幕週のこのレースは絶好と思える。鞍上にルメールを乗せられた点も良い。勝つか否かは別として3着以内には入着してくれそう。

 

◯1マウレア
 実績だけ見れば主役はこの馬で間違いない。ただ中山は未経験、武豊は中山は不得意、脚質は差し、差し馬の最内枠と買いづらい要素が結構並ぶ。むしろここで凡走して秋華賞で人気落としたところをヒモに入れたいな、などと思ったが。抜けている力でねじ伏せるか、馬場、コース傾向に苦戦するか、ちょっと判断できず、対抗で。
▲15レッドベルローズ
 新馬こそ府中だったが、次に中山のフェアリーS(GIII)を3着、ここと同舞台のミモザ賞(500万下)を先行抜け出しから中々の勝ちっぷり。この馬、来ると思う、本レースの条件との相性は抜群だ。


△3パイオニアバイオ
 フローラSで2着したことと、権利をとって迎えたオークスは7着とそれなり健闘しているし、本番はまあ措いといてトライアルならやれてよい。未勝利脱出は中山2000mだったことも加味しておさえ。
△4サラス
 上がり馬としてはこの馬をおさえておきたい。阪神の2000mの古馬混合500万下を勝ち、1000万下でも2着と十分買える結果。早い上がりが出せるので直線猛追で権利取りを意識した馬券内食い込みに注意。
△5ロサグラウカ
 中山2200mの水仙賞(500万下)を3番手から勝ちきった点を評価。オークスは力負けだろうがこの馬もトライアルならやれてよい。脚質も合う。
△8ランドネ
 先行脚質であることと、3歳限定だったとはいえオープン特別の格を持ったスイートピーSを2番手から進めて勝った内容を評価。脚質も良し。本命馬と同じくトライアルなら走っておかしくない。
△9カレンシリエージョ
 あまり人気していないようで、穴かな。前走小倉1800の500万下を2番手から進めて2着に2馬身つけて勝ったのだから、馬券内はあっておかしくないような。
△11ハーレムライン
 勝ち鞍はすでに3つ。中山で未勝利を脱し、府中の500万下で2勝目、そして中山のアネモネS(オープン)で3勝目。問題は距離だとは思うがここならやれてよいはず。

 

ガミろうと何だろうと当てに行く感覚で、3連複軸1頭流し8頭の28点
14―1,3,4,5,8,9,11,15

Good Luck!!

2018 『ギッちょん』山下澄人(文春文庫) 感想

収録作
『ギッちょん』(初出「文學界」2012年6月号、12年度上半期芥川賞候補作)
『水の音しかしない』(初出「文學界」2011年12月号)
『トゥンブクトゥ』(初出「文學界」2012年12月号)
コルバトントリ』(初出「文學界」2013年10月号、13年度下半期芥川賞候補作)

 硬い文体や、装飾過多な文体、あるいは飾らない文体など、作家の個性によってあまたあるそれらの中において、山下澄人の場合、初めて読んだ時にはどうにも拙いという印象を抱いてしまう文体なのだが、これが巧妙に不安や不穏を感じさせるものとなっており、戦略的に選び取った文体なのだと気づく。この点だけでもただ者ではないとわかるはずだ。
 それから山下澄人の小説は物語性は重要ではないのであらすじなど書くのは無意味だし、いや、正直に言うとどういう話だったか、読み手が混乱するように書かれているので、わからなくてもよいと思う。実際、私も途中からどんな話だったかと考えるのはやめた。物語性の否定は、何も今に始まったことでなく、現代の純文学(純文学というカテゴリーがまだ生きていると仮定して)では、主に日常を細やかに書いていく小説群の中で物語性などとっくに捨てられているものだからこの点に限ってはそれほど珍しくはないのだが、山下澄人の場合、否定などといった生易しいものではない。物語性、ストーリー性はズタズタに解体されている。

『ギッちょん』
 この短篇では節の記号として置かれる数字が主人公の年齢、そして叙述の順を表す機能を持っている。たとえばこんな具合だ、「32.34.30.34.07.35」、つまり32歳の頃、34歳の頃、30歳の頃、34歳の頃、7歳の頃、35歳の頃、を書いているという風に示されていて、しかも年齢が変わる時に空白一行開けといったわかりやすいサインは一切ない。しかしながら、むしろ、本作は読み手に優しい方だ。時間を何の躊躇もなく次々とめまぐるしく変えていく独特のスタイルは継承されていくのだが、本作以降、このような親切な時の移り変わりのヒントを与えてくれなくなるからだ。それで、この節が年齢を示すということは読んでいればそのうち誰でも気づくのだが、それに安心して気を抜いているとあっという間に、時空の歪みに引きずり込まれて、〈わたし〉の存在が曖昧で混沌としたカオスな世界に気づいたらハマっていたとなりかねない。また〈わたし〉の存在がどうのこうのという問題のみならず、〈わたし〉が分裂していく感もある。
 こんな風に書いていくと幻想的、などという形容を押し付けたくなるが、そんな古臭い定義なんて不似合いだ。有機的な繋がりがいつしか断ち切られたかのように、リアリズムの埒外に読み手は放り出される。しかしか細い糸が健気に小説全体をこっそり繋いでいたことが、最後まで読めばわかるはずだ。この繋がりが何とか読み取れるということも、まだ読み手に気を使ってくれていると言える。
 しかしながら、ここに書かれているものは何なのか、とか、神出鬼没の〈ギッちょん〉や、〈わたし〉は何者なのか、とか、そんなことを考えるのも野暮に思えるような、小説として成立するギリギリのライン上でふらふら揺れている世界に、山下澄人は読み手を誘い込んで、目眩を起こさせる。山下澄人の特徴と、まだ読みやすさを持っている『ギッちょん』を先頭に配したのはうまいと思ったものだ。
 
『水の音しかしない』
 これも自分の存在が揺らぐ話として読んでよいだろう。とある日のある時間、今までいた人達が忽然と姿を消されてしまった世界に主人公が迷い込む。アイデンティティの喪失というか、自分が自分であることを保証する外的事象、自分が自分であると信じられる要素が、いかに自分の外の情報によって支えられているか、そしてそういった馴染みある普段の人付き合いやなんやかんやの外的事象が全て奪われた時に果たして自分は自分であるとどう証明するか、どう信じればよいのか、といった居心地の悪さが書かれていく。不穏より不安が煽られる。
 しかしながら、途中で3・11の大震災と津波がこのような事態をもたらしたのだと示された瞬間、ちょっとがっかりした。これは安直ではないか。いなくなった人々、昔とは変わった風景、どこかおかしい世界は、わかりやすさを含んだ非現実的な世界、大量の人間の喪失(死)を体験した世界という文脈にどうしても回収されてしまう。こんなことは他の作家でも、というか誰でも書けるので、わざわざ山下澄人が書く必要はなかった。山下澄人の場合、大震災や戦災などといったリアルな現象などに頼らなくてもぶっ飛んだ不可思議な世界を構築できるからだ。もちろん山下澄人らしい錯綜具合が展開されているので、読み手をじゅうぶん困らせてはくれる。質は良いからこそ、安易に流行りに乗ったように3・11を核心に置いたのが少々残念だった。
 
『トゥンブクトゥ』
 山下澄人の本領発揮といった様相を呈す。
 二部構成で、第一部では、とある電車の中の数人の乗客の、それぞれに抱える生活を垣間見るところから本作は始まっていく。都合、一人称の〈わたし〉が三人、内訳は突然蒸発したいと思い立つ〈わたし〉、水族館に勤務する〈わたし〉、会社のごたごたと布団屋ごときに罵倒される女の〈わたし〉、そして三人称で書かれる老人一人、そこからどんどん登場人物が増えていく。
 複雑な叙述のありようは、ブレーキを踏むことなく振り切っているメーターも気にしないでどんどん錯綜していく。その中で三人の〈わたし〉は分裂というより、個人として個性を持ち、独立していた存在だった〈わたし〉達が、急に重なり合うというか同一化していき、独立性がなくなってしまう。個性が消えるのだ。それは三人称で書かれる場面でも同じで、増えていく登場人物達も最初は独立した個人だったのに、境界線が崩れて、その人をその人だ、と保証することができなくなる。ここでも存在の是非がキーとなっているのだが、〈わたし〉が複数に分裂していくのならまだしも(星野智幸の『目覚めよと人魚は歌う(三島賞受賞作)』に、分裂していく個人といった現象があったような覚えがある、『俺俺』(大江賞受賞作)もそんな感じだったから分裂していくなら前例はある)、各個人として独立性を保っていた〈わたし〉達が、一つの〈わたし〉に詰め込まれていくありようは衝撃的なのだ。何なのだ、この小説はとびっくりしてしまう。
 
 第二部では、第一部の歪んだ現実世界から明確に、現実世界ではない、異空間のような海辺に登場人物達は飛ばされている。
 そこでは第一部で起こった出来事が歪んだ状態そのままで引き継ぎがなされ、どの〈わたし〉なのか最低限の区別はできるように書かれているが、一人称の〈わたし〉だったり、と思ったら三人称多元視点になったりと、人称や視点がぐるぐる変わるので、何が何だかもはや説明できない。一応の解釈として、第二部はその乗客達などの登場人物が同じ夢を見ていたか、第一部に脇役として出てくる寝ている老人(三人称で書かれた老人とは別)の夢の中を書いたとも解せないこともないが、その夢らしき不穏で不安感に満ちた危うい世界を創り上げている文章のスタイル、人称や視点の頻繁な変化を、これは夢の中だから、といって扱いに困るから無視するようではあまりにもったいない。
 ここで名前を出したいのは〈移人称〉という用語。提唱者の渡部直己がセクハラの件であんなことになってしまったので、〈移人称〉なる用語もだいぶ株を落としたかもしれないが、どうしても山下澄人は〈移人称〉といった新しいスタイルを貪欲に取り入れて、現役作家で一番使いこなしている作家と言えるから、この大きな特徴は見逃せない。
 視点や、視点人物、人称を変えることはつまり、作中の何者かの目を借りて見る視界のみならず、作中にある物事への認識の仕方までも変化させる行為だ。たくさんの一人称の〈わたし〉と三人称多元視点の頻繁な切り替えがこの小説を厄介な代物にしているのだが、その厄介さは小説の中のカメラの限界を、文字でできることを尽くして突破しようと試みていることに他ならない。
 一人称の主観的な認識と主観的だが狭い視界、三人称の客観的な認識と客観的だからできる広い視界が入り乱れることと、その相互作用によって今までの古い小説どもとは違った小説内の世界のありようを提示することに果敢に挑んでいることがわかる。
 そうして、ここまで視界や認識を揺さぶられると当然のことだが読み手はウォッカをまるまる一本がぶ飲みしたように酩酊してしまうのだが、この強い酔いを伴うわけのわからない読後感は奇妙に心地よい、少なくとも私はそう感じた。
 
コルバトントリ
 一人称の〈ぼく〉のまま、人称は動かさずに視点人物がおばさんになったり、金田や三浦といった少年になったり、父や母となったり、視点が自由自在に動き回る。また〈ぼく〉が直接体験していない過去に平然と飛んでしまったりするので、語りの時間が入り乱れて、ひどく錯綜する。
 徐々に〈ぼく〉とされていた男の子や、その他の多数の登場人物を見る視点が歪んでいくと言えばよいのだろうか、〈ぼく〉が〈ぼく〉でなくなっていくし、登場人物達もおのおのの存在のあり方が変わってしまう。整合性は破棄されていると言ってよい。
 一人称だから〈ぼく〉が知っていることだけ書かれているのかというと、〈ぼく〉はそのことを知らないことを知っている、という極めて難解な言い回しと歪んだ認識が書かれだす。
 ここにおいて、従来の小説のルールだとか、約束事はズタズタに破壊されている。しかしそれらはそもそも守る価値や義務があったかと疑ったことはあるだろうか? 私は最近とみに増えてきたこの手の小説を読むまで疑いもせず、むしろ無根拠に従来型の小説のルールや約束事を破らないよう、間抜けにも気をつけていたくらいなのだ。こんなものは無価値だし邪魔なだけだ、と本作を読めば気づく。本作においては〈移人称〉という用語ですらカバーできないスタイルが採用されている。従来型の小説の用語を使うと、多視点小説ということになるかと思われる。しかしことはそう簡単ではないし、今までにないスタイルが提示されているので、〈移人称〉なる用語がある一定の認知度を得ているならば、私はこの、一人称でありながら、そして〈ぼく〉の語りを固定したまま、視点人物が移り変わっていく本作に対し、〈移視点〉なる造語を提唱してみたい誘惑に駆られた。
 
 ここまでごちゃごちゃ書いてきて、この初期作品集を読んで考えたり思ったことのまとめを書くのがひどくしんどいのだが、山下澄人の革新的な魅力は、何も徹底的に破壊した時間軸、リニアに進むはずの時間の流れをぐちゃぐちゃにしたといった点や、わたしがわたしであることの不確かさといった存在のありようへの疑問といった問題を突きつける作風だけにあるのではない。
 人称や視点の大胆で型破りな移動、それに伴う破調、破格のスタイルを持つ前衛的な叙法を貪欲に取り入れ、かつまた新しく創り出してしまう作家群の、先陣を切っていることが何よりも刺激的で何よりも魅力的なのだ。そういった山下澄人の魅力は、この初期短編集だけでも十二分に味わえる。

2018 予想 ジャック・ル・マロワ賞(仏GI)+過去10年前走データ分析(発走08/12 午後11:20)

 歴史あるフランスのマイルGI、ジャック・ル・マロワ賞(Prix Jacques le Marois) を予想する。
 日本馬のジェニアルは直前に回避となって残念だが、ジェニアルの挑戦があったからこそ、フランス最高峰のマイルGIが日本で買える。コースはドーヴィル競馬場で芝1600mの一直線。正直言って、どう買えばよいかわからなかったので、ジャックルマロワ賞過去10年において馬券に絡んだ30頭の前走および戦績のデータを頑張って洗い出した。そのデータを以下に掲載する。


ジャックルマロワ賞 過去10年前走データ分析

1-1前走クラス別頭数
1-2前走GI組 ステップレース別データ


2-1 前走GI組データ分析
1着、2着、3着、4~5着、6着以下
2-2 前走GII組データ分析
2-3 前走GIII組データ分析


3 過去10年30頭の前走データ分析まとめ

 



■1-1前走クラス別頭数
・前走GI組 24頭
・前走GII組 2頭
・前走GIII組 4頭
 前走クラス別成績では、前走GI組が圧倒過去10年30頭のうち、実に24頭がGI組。前走GI組が中心で、特にGI勝ち馬は強い。毎年、必ず、前走GI勝ち馬が馬券に絡んでいる。
 軸にしろ、相手、ヒモにしろ、まずは前走GI組から、という傾向である。

 

■1-2前走GI組 ステップレース別データ
ロートシルト賞(GI)組 6頭
クイーンアンステークス(GI)組 4頭
ジャンプラ賞(GI)組 3頭
サセックスステークス(GI)組 3頭
モーリスドギース賞(GI)組 2頭 モーリスドゲスト賞とも呼称されるが、ここではギースで統一
その他のGI 6頭(イスパーン賞仏2000ギニーエクリプスステークスコロネーションステークスセントジェームズパレスステークス、プリンスオブウェールズ


 最多ステップのロートシルト賞は、ジャックルマロワ賞と同じ舞台であるドーヴィル競馬場直線1600mの牝馬限定GI。2番手のクイーンアンステークスは英国アスコット競馬場の8ハロン(約1600m)で施行される古馬GI。
 他、ジャンプラ賞ドーヴィル競馬場直線1600mで施行される3歳限定GI、サセックスステークスは英国グッドウッド競馬場で施行される3歳以上のマイルGI。モーリスドギース賞ドーヴィル競馬場直線1300mの3歳以上のGI。

 同舞台(ドーヴィル競馬場芝直線1600m)で施行されるGIレース組が、当たり前と言えば当たり前だが相性がよい。あとはイギリスのマイルGI組が意外と相性が良い。

 


■2-1前走GI組データ分析
□前走GI、1着 11頭。
 馬券内に絡んだ11頭の前走GI勝ち馬のうち、レース名と回数は以下の通り。
 ジャンプラ賞(GI)1着馬は3回。ロートシルト賞(GI)1着馬も3回。
 他、1回ずつ。サセックスステークス(GI)勝ち馬、モーリスドギース賞(GI)勝ち馬、コロネーションステークス(GI)勝ち馬。

☆前走GI勝ち馬については文句なしといった様相を呈す。過去10年において、前走GI勝ち馬が毎年必ず1頭は絡んでいる。前走GI勝ち馬を馬券から切るのはかなり勇気がいる行為になる。

 

□前走GI、2着 4頭。
・前走GI 2着組
15年1着エソテリック(牝5)モーリスドギース賞(GI)2着 2走前クイーンアンステークス(GI)2着、過去にGI勝ち鞍あり。
12年1着エクセレブレーション(牡5)クイーンアンステークス(GI)2着 2走前ロッキンジステークス(GI)2着、過去にGI勝ち鞍あり。
11年3着サプレザ(牝6)ロートシルト賞(GI)2着 2走前ファルマスステークス(GI)2着、過去にGI勝ち鞍あり。
10年3着パコボーイ(牡5)クイーンアンステークス(GI)2着 2走前ロッキンジステークス(GI)1着、過去にGI勝ち鞍あり。

☆前走GIで2着するだけあってレベルは高く、全頭とも2走前にGIで連対、過去にGI勝ち鞍がある。

 

□前走GI、3着 4頭。
16年1着リブチェスター(牡3)サセックスステークス(GI)3着 2走前ジャージーステークス(GIII)1着、過去にGII勝ち鞍あり。
14年2着アノダン(牡4)クイーンアンステークス(GI)3着 2走前イスパーン賞(GI)2着、過去にGIII勝ち鞍あり。
08年2着ナタゴラ(牝3)ロートシルト賞(GI)3着 2走前ジョッケクルブ賞仏ダービー、GI)3着、過去に英1000ギニー(GI)勝ち鞍あり
08年3着メジャーカドー(牡4)サセックスステークス(GI)3着 2走前Bet365マイル(GII)1着、過去にGII勝ち鞍あり。

☆前走GIで3着だった馬はちょっとレベルが落ちるか。2走前は重賞(GIII以上)で3着以内に好走しており、また過去に重賞(GIII以上)の勝ち鞍があること。この二つの条件をクリアしていることが望ましい。

 

◇ここまで前走GI、3着以内馬を見たが、前走の好走のみではなく、2走前あるいはさらに過去に重賞勝利の実績があったという共通項が見いだせる。
 このことはつまり、今まで非重賞レースを走り、前走で初めてGIに挑戦し、惜しくも2,3着という馬がいたとして、その馬には過去に重賞を勝った実績がないわけであり、そういった、いわゆる上がり馬というか、実績不足の前走GI好走馬はデータから見ると、厳しいと言わざるをえない。換言すれば、例え前走で大敗していても、実績があるなら拾えるレース、という傾向が浮かび上がってくる。


□前走GI、4着~5着(掲示板内組) 3頭。
16年3着エルヴェディヤ(牝4)クイーンアンステークス(GI)5着 2走前ミュゲ賞(GII)2着、過去にGI勝ち鞍あり。
14年3着オリンピックグローリー(牡4)イスパーン賞(GI)4着 2走前ロッキンジステークス(GI)1着、過去にGI勝ち鞍あり。
12年2着シティスケープ(牡6)エクリプスステークス(GI)4着 2走前チャンピオンズマイル(GI)10着、過去にGI勝ち鞍あり。

 

□前走GI、6着以下(掲示板外組) 3頭。
13年2着オリンピックグローリー(牡3)仏2000ギニー(GI)11着 2走前グリーナムステークス(GIII)1着、過去にGI勝ち鞍あり。
10年1着マクフィ(牡3)セントジェームズパレスステークス(GI)7着 2走前英2000ギニー(GI)1着、過去にGI勝ち鞍あり。
09年3着バーチャル(牡4)プリンスオブウェールズ(GI)6着 2走前ロッキンジステークス(GI)1着、過去にGI勝ち鞍あり。

☆前走GIでも4,5着の掲示板内組と6着以下の掲示板外、特に11着の大敗もあるだけに分けて分析したが、あまり意味はないというか4着以下で一つにくくれそうだ。
 馬券に絡んだ前走GIで4着以下の馬はみな、過去にGIを勝っていること、これが共通項として抽出できる。もともと強い馬(GI馬)が、たまたま前走を凡走した、というパターンかと思われる。

 

■2-2前走GII組、2頭。
15年3着ワイルドチーフ(牡4)マイレントロフィー(GII)1着 2走前ベルトランデュブルイユ賞(GIII)4着、過去にジョッケクルブ賞仏ダービー、GI)4着あり
09年2着アクラーム(牡4)サマーマイルステークス(GII)1着 2走前クイーンアンステークス(GI)3着、過去にGII勝ち鞍あり。

☆前走GII組で馬券に絡んだ馬は少なく、わずか2頭。2頭とも勝って臨んでいる。
対象が2頭だけなので幅を持たせるとしても、せめて3着以内の着順が欲しいところ。また2頭には過去にGIレースで5着以内の実績があった点も見逃せない。

 

■2-3前走GIII組、4頭
17年1着アルワケール(牡3)メシドール賞(GIII)2着 2走前英2000ギニー(GI)3着、過去にGIII勝ち鞍あり。
17年2着インズオブコート(牡3)ポルトマイヨー賞(GIII)1着 2走前パレロワイヤル賞(GIII)1着、過去にGIII勝ち鞍あり(GIII連勝中だった)。
16年2着ヴァダモス(牡5)メシドール賞(GIII)1着 2走前イスパーン賞(GI)4着過去にGII勝ち鞍あり。
13年3着アンテロ(牡3)メシドール賞(GIII)1着 2走前ジョッケクルブ賞仏ダービー、GI)1着つまりフランスダービー馬、過去にGI勝ち鞍あり。

GIIIまで格を落としたからには最低でも連対していてほしいものだ。また、過去に重賞(GIII以上)の勝ち鞍があったことも忘れてはならない。

 


■3 過去10年30頭の前走データ分析まとめ

×切りデータ
前走GIで2着だった馬は、2走前でもGIで連対し、かつ過去にGI勝ち鞍があることが求められる。二つの条件に当てはまらない馬は消し。


前走GIで3着だった馬は、2走前に重賞(GIII以上)で3着以内、かつ過去に重賞(GIII以上)勝ち鞍があることが求められる。二つの条件に当てはまらない馬は消し。


前走GIでも、2着以下で、かつ前走が初GIおよび初重賞だった馬は馬券に絡んだことがないので、消し。


前走GIで4着以下だった馬は、過去にGI勝ち鞍があること。ないなら消し。


前走GIIだった馬はせめて3着以内(勝ち馬以外来ていない)、かつ過去にGIで掲示板内(5着以内)の実績があることが求められる。二つの条件に当てはまらないなら消し。


・前走GIIIだった馬は連対していること、かつ過去に重賞(GIII以上)の勝ち鞍があることが求められる。二つの条件に当てはまらない馬は消し。

 

◎買いデータ
・前走クラス別ではGI組が24頭とGII組、GIII組を圧倒。


同舞台であるドーヴィル競馬場芝直線のGIレース英国のマイルGIレースがこのレースに相性がよい。


毎年、前走GIを勝った馬が1頭は絶対に馬券に絡んでいる軸馬は前走GI勝ち馬からをおすすめ。


相性がよい(過去10年間で複数回勝ち馬が馬券に絡んでいる)レースはロートシルト賞(GI)、クイーンアンステークス(GI)、ジャンプラ賞(GI)、サセックスステークス(GI)、モーリスドギース賞(GI)。


 予想 

3連複フォーメーションを想定 ※ゲート番ではなく、馬番を表示。

1列目
◎10アルファセントーリ
 データ分析の買いデータに合う(相性のよいイギリス競馬のマイルGIを連勝)し、切り材料を全てクリア。できればドーヴィルで走った経験があった方が心強かったと言えばそうなのだが、アイルランド1000ギニー(日本では桜花賞に相当)からマイルGI3連勝は、まあ、凄い。特に近2走は2着馬を6馬身、4馬身離しての勝利だからバケモノ級だ。馬券外に飛ぶイメージが全く湧かない。3歳牝馬なので斤量も軽い。これ以上言葉を費やす必要はないだろう、不動の軸馬である。

 

2列目
◯11ウィズユー
 開催国フランス調教馬がよく好走するので、本命以外はなるべくフランス調教馬を選びたい。ウィズユーは本命馬と同じく3歳牝馬なので斤量が軽い。加えて前走は同舞台ドーヴィル1600のGIを2着に3馬身離して快勝。ロートシルト賞組は過去10年で6頭が馬券に絡む、最多かつ最良のステップレースだ。おまけに過去に同舞台のGIIIまで勝っており適性は抜群。2000mのGIで2着、仏オークスでも5着と中距離でも好走できるスタミナもよい。強すぎるアイルランドの絶対女王を迎え撃てる馬はこの馬くらいでは。
▲7インテロジャント
 フランス調教馬の3歳牡馬。同舞台ドーヴィル1600のGIを勝利。前走ジャンプラ賞組は過去10年で3頭絡んでおり相性がよい。前走GI勝ち馬のデータに限定すれば、ロートシルト賞の勝ち馬3頭と並んでトップの数字。好走必至である。この馬も仏ダービーで4着とマイル以上でも様になるレースができている点が隠れた強調材料ではないか。牡馬で筆頭はこの馬と思う。
☆4アクシデンタルエージェント
 古馬牡馬で斤量59.5kgと過酷ではあるが、古馬勢で一番はこの馬だという確信がある。前走の英国マイルGIをきちんと勝ったことがまず一つ。実績不足な点は否めないので、2,3着なら切っただろう。そして勝ったレースがクイーンアンステークス、これは最多ステップのロートシルト賞の過去10年6頭に次いで二位の、過去10年4頭だ。前走は大穴で勝ったレース、まだフロック視されている感があり、今こそが買い時。

 

3列目
△2レコレトス
 前走GI着外でも2走前にイスパーン賞(GI)を快勝。戦績を見るに中距離が得意そうだが、マイル戦はミュゲ賞(GII)を勝っており、適性外というわけではない。おさえ。
△1ヌールアルアワ
 前走はGIIIだがきちんと勝ちきっており、よくわからないがカタールダービーでGI制覇、ドイツのマイルGIII勝ち鞍ありなど、2,3着なら通用してよいと言える馬。複穴かな。
△9ローマナイズド
 前走はGI着外も、2走前にアイルランド2000ギニー(日本では皐月賞に相当)を勝っておりデータ面ではクリア。強調材料ははっきり言ってないのだが、切る理由も見当たらなかったのでおさえ。

 

買い目 3連複フォーメーション
10―4,7,11―1,2,4,7,9,11 の12点。


La fortune!!