2016 青山七恵「わたしの彼氏」読書中のメモ

 風邪は、市販の風邪薬のんで爆睡したらたぶん治った。若干、身体がダルいが。

 「わたしの彼氏」なんだが、今150Pぐらいで、全体で400Pあるからもう少し時間がかかると思う。で、これはストーリーそのものは最後まで読まないと何にも言えないが、文章が結構凄い。頑張って工夫している。

 まず何箇所かで発見した、テクニカルというかトリッキーな視点人物の移動。本作は三人称一元視点で進めていて、視点人物という言葉を何かで喩えるとしたら真っ暗な舞台で、誰か一人だけにライト当てる、みたいなそんな感じ。

 

 少しだけ脱線。日本の近代小説で一ジャンルを形成し、あまつさえ、海外からは日本文学の一つの大きな特徴、とも言われている私小説、というのがある。で、私小説って一人称が多いんだろ? って思い込んでいる人が結構いるが、そうではない。三人称一元視点の私小説もかなり多い。なんでかって、三人称にして一人称よりは距離をとって書きたい、という作家達が大勢いたからだ。三人称にしたって、主人公だけにライトを当て続けて最後まで終わらせるつもりならそれは私小説チックだと言える。

 

 話を戻す。

 で、もちろん主人公の鮎太郎にライトが当たりまくるし、それはよい、普通の事だ。で、三人称の小説にとって、この視点の切り替えってすごく重要で、失敗すると誰の目で進んでいるんだ? みたいに混乱してしまう。

 定石は、一行空白を開けたり、あるいは間に記号など入れて、「ここから視点人物いじるよ」みたいな感じで、別人物の目で文章が進む、というのは本当によくある。

 青山七恵も上の定石を使ってはいるが、それよりも際立って目立ってうまい所がある。それは明確な切り替えポイントを作らず、一行開けとかせず、例えば会話文の応酬で最後に喋った人物にするりと視点人物が移動する。さらに、というかあるいは、地の文で行為を描写した人間が視点人物を受け入れて文章が進む、という感じ。

 これ、本当に難しい所で、難しい癖にあんまり目立ったりしないから(目立っていないという時点で成功しているんだが、違和感なしだからね)、結構覚悟決めてよくよく考えてやっているな、と読み取れた。

 あとはまあ、地の文のテンションというかのかな、平易な言葉でかつ、地の文が緊張したり興奮したりしない。包丁で刺されたりするのだが、何があってもテンション普通、びくともしない。一定の温度でずっと書き続けた文章。

 これも結構な腹の括り方だ。山場を迎えたら地の文だってはしゃぎたくなって、加速力のつくのが普通だが、本作の青山七恵はそれを一切しない。だからシリアスっぽかたりする場面でも落ち着いて読める。浮ついてなくて地に足の着いた書き方をしている。

 

 ストーリーよりも文章のテクニックの方に私は感心している。まあなるべく早く読みたいね、休んでいる暇はないのだ。