2016 青山七恵「わたしの彼氏」読了、次は「ロシア・フォルマリズム」(文庫クセジュ)

 はい。

本書427Pで反復だと鮎太郎が思うが、この反復は構造、ポスト構造の重苦しい用語ではない。単に惚れられ、酷い事をされ、捨てられて、また誰かに惚れられるだけ。長いが筋は面白いから飽きなかった。内容よりも文章に魅了された。三人称一元視点だが、鮎太郎から別人物に視点が移る時、例えば会話の応酬の最後の発話者にするりと視点が移ったり、行為を行った人物に視点が移る、自然に違和感なく。この動かし方は難しく並の作家なら一行開けして済ます。青山もそれはやるがそれ以外もやっているのでかなり攻めた文章だったなと感心している。

 

 文体が乾いていて、あたふたしない、冷静だ、という言及を入れる事ができなかった。まあいいか。しかし430Pくらいあると疲れるな。飽きなかったのは本当だけど疲れた。

 で、〈反復〉なんていう怖ろしい文学理論用語が平然と出てきて、うわ、どうしようと思った。〈反復〉劇を検討し〈差異〉を見出し、ズレを見つけろとでもいうのか、そんな現代思想的なものか、そういう分析してほしいの? と凄く頭がくらくらした。それはないだろうと思うことにした。惚れられて、同じ分だけ好きになって、でもなんやかんやあって主人公だけ不幸にあって、捨てられるを繰返している。確かにこの構造は反復だが。もう〈構造〉とか〈反復〉とか、容易に使えない、怖い。文学理論を噛じったことあれば、どんな人だってここでこられを言って/書いていいのだろうかと迷うはずだ。

 

 それはそれでよいとして。次は「ロシア・フォルマリズム」ミシェル・オクチュリエ文庫クセジュ)。「文学理論」みたいな感じの書籍の一項目に必ず載っているロシア・フォルマリズムだが、みんなこの名前と異化作用だけ覚えてさっさと次へ進んでしまう。まあ次がソシュールレヴィ=ストロースだから、ロシア・フォルマリズムが軽く見られてしまうのだけど、再評価の動きありというように、私もこれに期待している。んで、あくまで概説書だが単体でロシア・フォルマリズムを扱っていて、手に入れやすいのが本書だった。他はもう、がっつりな学術書になるから5000円とか用意しないといけないので、流石に手元に置くよりは図書館で借りるかな。蔵書にあるのか知らんが。

 世界中の文学者達は一様に悩んでいる。何を書けばいいのか、と。あまりにも難解なこの問題は、一度脇へ措いて、どう書けばいいのか? を真剣に考えてみるのもよいじゃないか、と思ってロシア・フォルマリズムに惹かれた。形式論、詩学だからだ。内容は関係なし、どう書くかの問題意識。これは結構大事だと思うのですよ。