読書と競馬

競馬は文学である

2016 堀江敏幸「いつか王子駅で」読了 小説内の競馬描写について

 いつの間にか競馬回顧サボっているけど今日もサボるよ、まあ、その、中京記念は小牧を軸にして万馬券をとった。なんだかんだで今年の万馬券には小牧がよく絡んでいた気がする。

 

 それはさておき、私はもう、今すぐにでも書けるしもう書いちゃおうかとも思うのだけど8月1日までをプロット作成期間としてじっくりと。そのためには文章を読まないといけないのでゆるりと。

 堀江敏幸がここまで競馬が好きだとは思わなかったし、作中の陸上部の中学生に馬を重ねて見てしまうのは私も昔そうだった。しかしまだ上品というか遠慮しているね。マクレ! とも 差せ! とも 残せ! とも叫んでいないし。

 で、これは深刻な問題だなと思ったのが実際の、戦後のクラシックホース達をそのまま出してしまう事の是非だ。

 テンポイントの出生の秘話、グリーングラスは置いてけぼりの、トウショウボーイとの有馬記念デットヒート。絶望的な雪降る日経新春杯の悲劇。ことにTTG(テンポイントトウショウボーイグリーングラス)は馬をやる人間は百万遍といっても過言でないくらいの、特にテンポイントトウショウボーイなどは語り草だから、これを事実を報せるために書いたのだとしたら堀江の失敗だ。あの〈説明〉は、下手をすれば主催者JRAにも書いてあるかもしれんぞ、リアルタイムの時間に生きていて見ていたのならもっと主観的な事を入れないと。馬キチガイからは何度目だ、と言われてしまうし、関心がない人にはちんぷんかんぷんになってしまう。

 競馬というのは近代的な文化であるから多くの作家が魅了されているのは周知の事実で、やらない方がおかしい、くらいの認識だ。日本の競馬というと競輪ほどではないが野次が凄いというイメージできついだろうが欧米、いやヨーロッパだけかな、まだ社交場である。貧民は入れないだろう、王室主催のロイヤルアスコットなど特に。

 今般のように実名をぞろぞろと(ご丁寧に武邦彦福永洋一の名前まで出すが、それぞれ息子の名前出さないと通じない人には通じないでしょうに)出してしまったのは、あれはやっぱり失敗だ。

 保坂和志ヘミングウェイ古井由吉高橋源一郎、もっともっといるけどやはり実名は出さないものだ。

 テンポイント出生の秘密があまりにドラマチックである事は一例に過ぎない。

 

 例えばまさに今日の中京記念福永祐一(洋一の子)が7番人気ながらガリバルディで勝ったわけだが、母馬名を見てぴーんと来ないのであれば競馬ファン失格。

 母シェンク、と聞いてマルカシェンクがすぐに出るでしょ? 他にザレマとか出しているから(あれはアンカツの馬だったか)良い肌馬というか良血扱いされているはずだ。

 血統を整理しよう。母シェンク×サンデーサイレンスマルカシェンク、母シェンク×ディープインパクトガリバルディだ。種違いだが腹は同じの馬に福永を乗せて勝ったから、ここにドラマが生まれている。

 マルカシェンクは2006年に3歳のシーズンを迎えた。ちょうど10年前。主戦は福永。デイリー杯2歳S等々、特別レースを複数勝っていたマルカシェンク京都新聞杯で5着に敗れるも賞金ボーダー上で残りダービー出走が叶う。5番人気して4着。なかなかのものだ。その後はご存知の通り。ゲート難を抱えてマイル前後の重賞を転戦する。覚えているのは08年の関屋記念で、何で覚えているかと問われれば当てたからだ。

 と、ここで06年ダービーと聞いて、ああ! と感嘆の声を上げないならまだまだだ。メイショウサムソン、鞍上石橋守という年である。サムソンは二冠を達成するのだ。10年前と言えば武豊全盛期で涼しい顔して200勝以上していた頃だろう。

 ここでまたドラマが生まれているわけだ。華やかな中央所属のジョッキーになったのに裏方回りの地味な存在、そろそろ騎手引退と肩を叩かれそうな、石橋守などというジョッキーなどそんな認識だったが、これが皐月ダービーと勝ってしまうのだから、これほど胸のすくクラシックもあるまい。

 じゃあユタカは何に乗っていたかってアドマイヤムーンだ。ダービーでは3番人気。

 2歳時は本田優(懐かしいな)から3歳で武豊にスイッチ。皐月ダービーと敗れたが、海外に活路を見出し、香港カップ2着、ドバイDF(現ドバイターフ)1着、香港クイーンエリザベスCで3着。帰国後岩田にスイッチして宝塚記念ジャパンカップを奪取。世界を相手に互角に戦った名馬だ。

 

 とまあ、こんな具合に馬でも騎手でもなんでもいいが実名を出してしまうと、こんな風に次々と小話が連鎖反応を起こす。それら全てを意識の流れ手法よろしくだらだら書く羽目になってしまう。こりゃあ、ドツボだ。

 だから今回の堀江敏幸の小説が、ことに競馬について書いた部分は失敗だった。無限に広がる現実世界の競馬事情にフィクションの体裁で書かれた散文の、ほんの一画のためだけに出しても御せない、火傷しちゃうんだなと、ある意味悪いお手本として私は終生忘れぬだろう。