2016 「殉教」そろそろ読了 三島はもう古典だ

 いや、まあ、題名の通り。土日なんで多くの時間と思索を競馬に奪われる毎週末であるからして読み終えるのは今日の夕刻になるだろうが、あと60ページほど。少々、計画は遅れる。

 やはり第二次戦後派の三島由紀夫にとって、短篇という舞台はあっていないのではないか。三島の長篇には論理的な構成美の中に、ガンガンと胸昂ぶるような緊張が膨れ上がっていく〈ドラマ〉を描き出すわけだが、それは長篇でやれる事であって、おおよそ事の一瞬を切り取る短篇にそれを求めてはいけないし、やったら失敗する。三島はそれをやってしまおうとして見事に失敗してしまったというか、なんというか。

 短篇を得意にした第三の新人達の名人芸めいた短篇群に、三島の短篇は敗れるかもしれない。

 

 そもそも論だが、今、2016年という年を迎えて生きる我々に、1970年に死んだ文学の亡霊は、生者に刺激を与えること、殊の外少なくなったように感じる。ようやく成仏したか。そう、得るものが何もないのである。例えば小島信夫なんかはものすごいメタフィクションをやってしまったりするし(第三の新人の枠内)、安部公房(第二次戦後派)の幻想性というか不思議さは今もう一度再評価してよいはずだし、師と仰いだ川端康成はあれはあれでモダニズム文学に洗われた身であるから意識の流れだとか、色々やっている。

 雪国やら伊豆の踊り子などつまらない、なんで有名になるのかといったら川端の中で特に読んでも子供らに毒にならないからだ。それだけ。川端の名作を挙げよと言われてこの二作を出すようだったらそんな人間は殴って殺しても構わない。

 三島に落胆したのではない、ああこんなものだったか、我々はとうに三島を追い越していたのか、やった! という感じを覚えた。実際、三島に前衛性はなかった。〈小説〉という狭い枠を壊そうとしたり、あるいは抜けだそうとしたりせず、その狭さに適応して理詰めで攻めた結果、隙のない昔ながらの文学の延長上のものを完成させた作家と言える。

 収録作に三熊野詣というものがあるが、あれなど、三島の死んだ後に出てきた和歌山県被差別部落出身の中上健次がさんざん熊野を書ききってしまったから、それを知るはずもない三島のあの短篇が可哀想に思えてくる。もうこの一点ですら、三島は超えられてしまっているのだと思っても良いのかもしれない。

 

 実際、古典だ、という認識が日本の国文学者、特に近代以降の、その手の学者に行き渡れば三島そのものを研究テーマに掲げて大手を振って大学院に入るものも出てくるかもしれない。もはや研究と称して解体されゆく身であるのだなと、やや哀れにも思う。とにかく自選短篇集「殉教」はハズレだ。

 

 ちなみに小倉サマーJで75倍くらいのをあてた。障害重賞大好き。