読書と競馬

競馬は文学である

2016 「あかりの湖畔」青山七恵 読書中のメモ

 メモっつったってそこまで何か凄いものがある小説なのかというとそうでもないんだけど、なんかな、政治的な記事をいつまでもトップに置いておくのは趣味じゃない。

 で、主人公は灯子という。26歳。山の上の湖畔にある老舗の食堂(昔は民宿も兼ねた)で実質的な女将をやっている。女将つっても、強気そうなわけではなくて、なよなよしている。

 で、これが結構な長篇で、文庫で370Pくらいある。今は2/3まで読んだ、今日か明日には読み終えるかと。

 で、今私が予想しているものだと、この灯子が山を降りて男の子と付き合っていくんじゃないかなと思っていたのだけど違う結末になるのかな。

 駅で山を降ると温泉街があり、友人に清もいる。

 で、さらりと2,3回言及があるが、この湖畔をめぐる山の上は天上、天国のようだ、みたいな事をわざとらしく言う。ここからハハンと予想して、トポス……と捉えるのはやりすぎかな。つまりこの湖畔の周りは死人の国というか生気の通ってない場所って感じではないか。ここもわざとらしく、アイスティーに入れるレモンを切らしてしまって、レモンをもらいに愛煙家の老婆に会いに行ってただでレモンもらってくるんだけど、なぜ老婆だったのか? ということだ。レモンくれてやる役回りしかないならただのおばさんでいいじゃないか、なぜ老婆なのだ? しかも携帯電話の電波が届かないと来たものだ。

 

 現に三姉妹だが妹二人は山を降りるという。父も、もう食堂の仕事はしないで山を降りて観光案内所の勤め人になっている。日がな一日、そして近い将来においても、湖畔の周り、山の上を降りる予定がない、というのが長女の灯子だ。

 温泉街を含む、山を少し降りてしまえば生者の国、やかましいほどに人々は元気だ。美しい湖を前にしながら無気力な灯子とは大違いに。で、これも何で湖なのか、と思ったのだ。山だからでしょ、と言ってしまえばそれだけだが〈停滞〉のメタファーではないかなと思えてしまう。河だったら流れていくでしょう? 山には河もあるものだ。

 

 まあしかしわからないね。こんな風に簡単に分析させてくれるか知らんし、きっと今私が読んでいる辺りから予想してない方へ動き出すのかな。

 文庫のウラには家族の嘘だか隠し事だとかなんとか、どうもそっちにフォーカス持っていくらしいから、今まで私が適当に書いた考察は全く当たらないのかも。でも文章が魅力的だからあてが外れても良いとは思っている。