読書と競馬

こっちだよー。

2016 今年度(2017年3月末)までの漠とした創作計画及び読書計画

 予想はしていた事だがツァラトゥストラを読み終えて、今日にやっと善悪の彼岸に手をつけた。もう一つ、道徳の系譜、これで私のニーチェのお勉強は終わるのだが、11月の中旬頃だろう。10月にやってしまおうと言っていたのに。

 と、こんな風に読書も創作も、いくら事前に宣言していたって、それを守らなくても誰も怒らないし叱りつけてこない。つまるところ責任がない。だから、こうしたい、というのは自分の意志だけなので悪い意味で自由なのだ。課題にレポートが付されているというならまた別だろうけど。

 

 で、創作と読書の兼ね合いをどうしようかと。いつまでを読書に費やすのか、という感じ。今年の3月末にやろうと思って練ったプロットが眠っている事には触れたはず。あとはもう一つアイディアがある。

 その、今年の3月末(昨年度末)に書こうとしていたのは、良心がない事に悩む人間がシリアルキラー的に人間を殺していって、それなのに良心がやってこない、みたいなものを書く予定だった。だからニーチェが必要かもなと思ったわけである。既存の道徳の否定という意味合いで。これはこれ、純文学じゃなくてもやれると思ってエンタメ方面の賞に出してもいいなとも思っている。それで、人殺しの場面の描写は書けるだけ書きたいので、花村萬月を結構買い込んだという経緯がある。

 

 もう一つはナイーヴな人間の書簡体小説で、その語り口は饒舌体にしようかと考えている。これは人を殺したりだとか物騒な事は起こらないモノになる。

 ライ麦みたいな感じを想定しているので、もう一度読み直そうかと。春樹の方ではなく野崎孝さんの邦訳で。別に春樹の訳でもいいのだけど、素材として調達する気でいるから、野崎訳とかけ離れていたりすると困るわけである。そして別段、私はライ麦にハマりはしなかったのだ。じゃあ何で模倣しようかと企てているかというと戦略的に評価されそうな気がするから。あとやってみたいから、というのもある。三田誠広が自身の芥川賞受賞作「僕って何」を振り返って、10年経ってようやくあの頃(三田本人の学生時代の頃、学生運動も盛んだった)の事を書けたと言っているのだが、私も約10年前が18,19の頃になる、その歳がちょうど大学入学した頃なので、きっと客観視できるだろう。

 加えて、赤頭巾ちゃん気をつけても読まなきゃだし(ライ麦のパクリだと言われながらも160万部売れた芥川賞受賞作)、饒舌体と言えば宇野浩二なので、宇野浩二をきちんと読もうと。

 

 どちらかというと後者の饒舌体小説を書きたい熱が勝っている。書くものを一つに絞るなら3ヶ月あれば、ゆとりを持って臨めるはず。だいたい、3ヶ月なんて言っておくと結局2ヶ月半くらいになってしまうだろうから今は3ヶ月と言っているのだけど。

 2つ書こうとするとどうだろう、わからないな、単純に半年とはならない気はするが、やるなら12月に入る前に手を付けねばならないだろう。うん、多分無理だ。

 とすると今年いっぱいを読書に充てようか、と考えている。年明けて正月から書き始めるようにするかなと、漠然とした計画としてはこんな感じ。

 今年は現時点で86冊読めているので、あと14冊読んで年間100冊というのは達成してみたいし。ニーチェの残り物をやりながらフォークナーの未読のものにも手をつけたい。積読の中に入っている。