読書と競馬

競馬は文学である

2018 『九年前の祈り』 小野正嗣 (講談社文庫) 感想

 2014年度下半期芥川賞受賞の表題作を起点とした連作短篇集。
 小野正嗣はデビュー作から、故郷である大分県の、リアス式海岸にある過疎化が進む集落を小説の舞台にしてきた。デビュー作や三島賞受賞作では集落を〈浦〉と名付けていたので、ときおりそれらの作品群は〈浦〉サーガとも呼ばれる。本書もそのサーガの一つとして加わるのだろうが、連作短篇集全体としての完成度が相当に高く、そして何より芥川賞を射止めた『九年前の祈り』だけでも絶品と言えるだけに、サーガ等々はあまり気にしなくてもよいかもしれない。
 優れた小説はしばしば読み手の心を強く揺らすもので、恐らくその状態は感動という一語をあてるのが適当なのだろうが、これもまたしばしば起こることで、何にどう感動したのか、言い表し難い。伝えたいことは何となく分かるし、現に伝わってきたから感動しているのだが、言語化しにくい情感を持たされた小説だった。
 
 表題作で短篇というより中篇と言ってよい文量である『九年前の祈り』の主人公さなえは、上に記した大分県の海辺の集落から上京し、カナダ人と結婚し一男を儲けるものの、破局し、いわば都落ちする形で故郷の実家に身を寄せている。そして母からみっちゃん姉というさなえが慕っていた年上の女性の息子が大病に罹り、病院に入院した、との報せを聞く場面から始まる。
 この時より現在と、九年前に集落の住人達でツアー旅行したカナダのモントリオールでの回想とが、複雑な交わり方をしながら小説は進んでいく。
 さなえは両親も含めた集落の住民達に馴染めないどころか心を許していない。狭い地域で固定化され、人の出入りが少ない田舎では、プライベートはないに等しく、何もかもいつの間にか筒抜けだ。特に一度、この集落を捨てて出て行った人間であるさなえには、不寛容な言動が容赦なく浴びせられる。田舎特有の息苦しさ、無神経な住人達がリアルに描かれている。
 加えて息子である希敏(読みはケビン)は、恐らくは自閉症か何か、先天的な障害を負っており、よく発作を起こす。外界の全てを拒絶するような異様な喚き方で、それをさなえは、ひきちぎられたミミズ、という嫌悪感を喚起させる比喩で言い表すように、希敏を重荷に感じている。
 この二つの要因によってさなえが追い詰められていく心理描写は読んでいて苦しくなるほどだ。
 一方で九年前の回想にあたる部分では、案外ユーモラスな様子で進行していく。無神経な住人達も、いざ集落を離れてみれば図々しいだけの、滑稽な田舎者に過ぎない。その中で唯一、思いやりと寛容さを持っているみっちゃん姉にさなえが惹かれていくのは当然のことだが、ふと住人の一人から、みっちゃん姉の息子がどうも発達障害のような子供で苦労しているのだ、と明かされる。無神経で、何でも噂にして集落中の人々に流してしまう特性という伏線がここで活きてくる。この軽口がなければこの小説は成立しない。つまり、みっちゃん姉は現在のさなえと似た状況にあった。急速にさなえと九年前のみっちゃん姉が重なり合い出す。
 現在と九年前が、行空けなどをなされずに進んで次第に混淆していき、精神が参っているさなえに幻覚を与える。それは、息子の入院先にいるはずの、子煩悩であるはずのみっちゃん姉が、なぜか目の前におり、希敏を連れ去っていってくれるというもの。ここに来て、さなえはみっちゃん姉にほぼ同化していると言ってよい。そして、この情景はあまりにも切ない。子を捨ててしまいたいという、決して肯定できるものではないが切実である苦々しい願望が、幻想的で美しく表現されればされるほど、どうしようもない哀しみが満ちてくる。
 九年前のモントリオールの回想で、団体で地下鉄を利用する際、住人の幾人かがはぐれてしまうのだが、住人を探すうちにとある教会に辿り着き、みっちゃん姉は膝を折り、〈祈り〉の姿勢をとる。何を祈るのか、と戸惑う住人達は、はぐれた住人が見つかるよう祈ればよいとみっちゃん姉に倣って〈祈り〉を捧げる。しかしみっちゃん姉の〈祈り〉の姿だけ明らかに質が違っていた。その光景をさなえはついに鮮明に思い出す。
 このみっちゃん姉の九年前の〈祈り〉をどう捉えるか、どう受け取れるかで本作の評価がだいぶ変わってくるのではないか。
 もちろん宗教性は関係ないし、はぐれた住人など、この際どうでもよい。
 〈祈り〉を、何かを請い願うものだと見たとして、果たしてみっちゃん姉の願いは叶うのだろうか。そう、初めから分かっていることだが、たとえ懸命に〈祈り〉を捧げたからといって、必ず救いが訪れるとは限らない。願いの成就など保証しようがないし、見返りだって期待できない。何も起こらない可能性が極めて高い。それらを分かっていてもなお、みっちゃん姉は〈祈り〉を捧げているのだ。これは子を想う母の愛とするのが妥当だろうが、それだけでもない気がして、どうもピッタリと対応する言葉が見当たらない。それでも、いや、だからこそ、目を閉じ、手を組み、何事かを、誰かを、ただ一心に想うということ――〈祈り〉という行為とその姿が持つ崇高さそのものを、心がボロボロになっているさなえが九年越しに見出して、きっと希敏への接し方がよい方へ変わっていくのであろうと思えた結末に、いたく心を揺さぶられてしまった。
 
 他に短篇三つ、『ウミガメの夜』、『お見舞い』、『悪の花』を収録。幾人かの登場人物の事情や過去や背景、意外な繋がりがそれぞれ違った視点から多角的に何度も描かれることで、『九年前の祈り』で提示された世界観に奥行きが出てくる。三人称でありながら(何もかも知っている語り手のくせに)、意図的な省略やはぐらかしを多用する点は少々あざとい気がしないではないが、『悪の花』の最後も〈祈り〉が出てくるので、円環構造のような感じで、まとまりがよく、こういった辺りは技巧面が優れており、締め方としてはキレイで納得のいく物だった。