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2018 『爪と目』藤野可織(新潮文庫) 感想

 
 
著者 : 藤野可織
新潮社
発売日 : 2015-12-23
 2013年度上半期芥川賞受賞作。
 ホラー小説であると思うし、またミステリー小説でもあると思う。終始、醸し出される不穏で奇妙な雰囲気は何なのか。本作の謎に迫るには人称と視点、おかしな語りを見ていくことになるはずだ。直截に言ってしまえば、これは語りのホラーであり、ミステリーである。
 
 基本的なことを確認すると、まず語り手は三歳児である〈わたし〉だ。父は〈あなた〉と不倫関係にあった。そして母がある時、ベランダで死亡した。これを機に後妻として〈あなた〉が滑り込むようにやって来る。小説は〈わたし〉が〈あなた〉に語りかけるような調子で進行していく。二人称小説だとも言われる所以だが、そう定義したところで本作の全てがわかるわけではないし、本当にこれが二人称小説かどうか怪しいものだ。
 〈わたし〉が作中に実在する人物として最初から最後まで登場している。普通に考えれば、これは一人称小説だ。読み手としては〈わたし〉が語ることを読んで(聞いて)いくしかない。しかしながら、この〈わたし〉が曲者で、また怖ろしく、また奇妙な語り手であることがわかってくる。おかしな点は三つ挙げられる。
 
 ・一つ目に、三歳児とは思えない大人びた口調と、観察力と判断力を持っていること。
 ・二つ目に、一人称でありながら、〈わたし〉が知り得るはずのない〈あなた〉の心理や、〈わたし〉がいないはずの空間や、過去まで語ってしまうこと。父のこともそうやって語ってしまうこと。
 ・三つ目に、〈わたし〉すら外側から語ってしまうような文章がいくつか出てくること。引用すると「寝室では、わたしが両親のダブルベッドの真ん中で、掛け布団の上にうつぶせになって眠っていた。」「わたしは、リビングに踏み込んだことに気付かないようだった。」等々。これは一人称の語りとしては、少々おかしい書き方だ。
 
 一つ目は、成長した〈わたし〉が過去を回想しているとすれば説明できるが、二つ目、三つ目はそうはいかない。
 二つ目のこと、〈あなた〉の行動だけでなく心理をも語り、また〈あなた〉だけでなく父のものまで語っていることからして、これは三人称多元視点、いわゆる神の視点のようになっている。最近は意図的に小説の常識を崩して、一人称と三人称の間を自在に移動し、視点を動かす小説が出現しているから、その手のものかと言えばちょっと毛色が違うのではないか。あくまでも形としては一人称体のままで、変化はしないからだ。〈わたし〉は〈あなた〉や父の内面に潜り込めるし、〈わたし〉のいない空間や過去に移動できる神のような、人間を超越した、あるいは人間にあらざる何かとしか言いようがない。
 三つ目は、三歳児の娘である陽奈としての〈わたし〉を、陽奈ではない〈わたし〉が語っているという現象が示されている。〈わたし〉を〈わたし〉が外側から語る、客観的に書くとは何が起こっているのか。 
 この語り手〈わたし〉はいったい何者なのか。語りのホラーであり、ミステリーであると言ったのはこういうことだ。
 
 何者であるかを推理する前に、『爪と目』という題名について。〈あなた〉という後妻はひどく視力が悪い。おまけに見たいものだけ見て、見たくないものは見ない。利己的な性格の象徴として目の悪さが使われている。
 〈あなた〉は〈わたし〉をきちんと見ようとしない。その憎々しさからか、〈わたし〉は爪を噛む癖をやめられない。一時的で投げやりな処置としてスナック菓子を与え続けて爪を噛む暇を奪うが、いつしかそれを忘れた時、爪を噛む癖は再開され、ギザギザな凶器となった爪で〈わたし〉は問題を起こす。またもや一時的な処置として、爪をヤスリで削るが、爪は鋭さを獲得し、さらに危険な物になったことに〈あなた〉は気付かない。依然として〈わたし〉を見ようとしない〈あなた〉は、〈わたし〉の爪によって、利己的なその目は攻撃されるだろう。
 この内容と上記のおかしな三つの点を合わせて推理すると〈わたし〉は何者なのか、見えてくる。
 〈あなた〉は三歳児の連れ子である〈わたし〉を見ようとしない。その〈わたし〉には、〈わたし〉を産み落とした者の面影があるはずだ。〈あなた〉にとっては見たくない、考えたくない人物だろう。いや、そもそも〈あなた〉の見ようとするものの対象外なのかもしれない。既に死んだ者など、鈍感で利己的な目が持つ視界には入れないのかもしれない。
 
 その〈あなた〉を憎む今は亡き者が〈わたし〉に取り憑いているとしたならば、今まで書いてきた不審点がおおよそ解明されると思うのだが、どうだろうか。むろん、誰とははっきり書かれていないのだから、他にも解釈や推理のしようはある。本作が持つ怖さもまた、多様な要素の組み合わせからもたらされたものだ。しかし実験的な人称、視点、語りからホラーを生み出せるなんて、と思わず唸ってしまった。