2018 『また会う日まで』柴崎友香(河出文庫) 感想

 2006年度三島由紀夫賞候補作。
 生まれ育った大阪に住み続け会社員をしている二十代後半の仁藤有麻(読みはユマ)が主人公。今は東京に上京しているが、かつて大阪の高校で同級生だった友人達と会うために一週間の休暇をわざわざとって遊びに行く。その七日間を繊細なタッチで描写していく。
 この東京旅行の最大の目的は、友達以上恋人未満のような妙な親しみがある存在だった鳴海くんに、高校の修学旅行の夜、言葉では言い表しがたい阿吽の呼吸のような、何というか心が通いあったような奇妙な感覚が一瞬間あって、その時に鳴海くんは本当は何を考え、どう感じていたかを確かめることだ。一応はこのことを明らかにしようという動機を軸にして小説が展開していく。
   
 柴崎友香といったら日常小説、と読まれるのだが本作の場合は厳密に言えば日常小説とは言えない。巻末解説の青山七恵もめざとく触れているように、大阪に拠点を置いて生活している有麻は東京に来てみればストレンジャーだ。有麻にとって東京という街は非日常空間であり、加えて大阪を離れて東京で暮らす友人達の暮らしぶりも有麻にとっては非日常的だ。あくまで有麻は旅の人であることを忘れてはならない。
 また柴崎友香はカメラアイの作家だともよく言われるのように、東京の風景、例えば都心の高層ビル街も、浅草寺や東京タワーといった定番の観光スポットも、何の変哲もない都内の住宅街も、全て旅の人の視線と感覚を通してしつこいくらい丁寧に描かれている。思えば東京一極集中のこの時代にあって、あえて遠くの土地の力を信じてサーガを紡いでいく中上健次阿部和重のような作風や、あるいは東京に住む若者を直球で描いていた吉田修一とも違った、意外に珍しい外部の人間の目が見て感じた東京が描写されている点も、本作の得難い成果であり魅力だ。
 
 東京という場所はもちろんのこと、過去とは違う今という時間を生きるかつての同級生達も、場所だけでなくて時間までも旅したような有麻の目には今まで知らなかったこととして映っている。
 もう高校時代のあの頃と同じではないという、至極当然だがその目で直接確かめなければわからないことを実感していく過程を書いたものだと言えなくはないか。
 実際、作中では過去を思い出すシーンが頻繁に出てくるように、本作のテーマは後ろ髪を引かれている過去にケリをつけることだろう。

 鳴海くんの家に泊まったりまでしたのに、修学旅行の夜の奇妙な一瞬のことについて尋ねることができたのは東京旅行の最終日となった。待たしただけあって有麻と鳴海くんの会話は長めに書かれているが、はっきりとした答えは語られていない。けれど二人の間でこの問題は解決したということはわかるのだ。
 というか二人の修学旅行の夜の感覚はどう頭をひねっても言語化できない微妙なものだし、読み終えた私もどうしてもうまく言えないのだけど、二人が何を納得しあったかは理解することができたし、それですっきりした読後感を得られたのだから不思議だ。
 また会う日がもしあるならば、今度は過去ではなく今を生きる者同士としての関係が始まるのだろう、そういう予感を覚えることができた。
 文章技法で言う所の故意の言い落とし、あえて核心を言わずに周囲を細かに書いて肝心なことを悟らせる、修辞学で言えば黙説法となるのだが、それが抜群にうまい気持ちの良い小説だった。