2016 青山七恵「お別れの音」読了、次は吉行淳之介「星と月は天の穴」

 例によって(以下省略)お別れの音。

 

大当たりは人によるだろうが外れは一つもない、どれも中々の品質を維持した好短篇集。00年代の純文学系新人賞から出発して生き残った作家にある程度共通してみられるもので、大きなアクションで〈物語〉を動かすよりも〈機微〉を穿つ事に集中している。文章一つ一つ全て重要なパーツで、一つでも過剰、過少があると途端に破綻する。本格的な積み木かパズルのような。青山七恵はかなり出世が早い。そろそろ谷崎賞辺りから声がかかるだろう。どれが好きか、その理由を語る事に文字数を費やせないから題名だけにすると「お上手」と「うちの娘」。

 

 6篇を収めた短篇集なのだが、どれも秀作もので良い具合に成熟している書き手だなと思った。その6篇全部の感想を書けとなると、えらい苦労すると思う。良くも悪くも、何らかの文学的タームを援用させて解釈に一定の方向をつける、というやり方がこの手の作家にはできない。

 悪口だったら言える。半径10メートルくらいの事を細々書いているだけだろ、的な感じ。小説なんだからもっとでっかく構えようぜ、みたいな事を言おうとすれば言えるんだけどそこまでして攻める必要が無いというか。第一、真剣に、面白いもの書いているからね。

 

 話は脱線するが、ネットのアカウント作成の時に、プロフィールや、あるいは自己紹介で、「中上健次村上龍が大好きです」と私は言っている。これに間違いはない。だが本当に大好きなので、既刊の書籍は全部読了済みなの。

 特に中上健次は卒論にも、大学院の研究対象にも選んだくらいだから、全集、発言集等々、5万円以上は使ったかな、全部購入して持っている、それくらいのものを読み尽くしていて、多分、中上健次に対する言及は全部読んだと思う。中上健次の全集も赤線やメモでぎっしりで、特に秋幸三部作「岬」「枯木灘」「地の果て 至上の時」などは、ジョークではなく、ガチで30回以上は読み直している、当たり前だ、これで論文書いたんだから。だから新しく読みました、と言って登録できない。むろん、再読という形で登録し、短評を載せるという事もできるが、未読の本が、積読が70冊あるんだからそっち消化せんといかんわけで。どうしたものかなあ、と思っている。

 

 閑話休題させてレールに車輪を戻すと、次は吉行淳之介さんの「星と月は天の穴」を読む。かなり久々に淳之介さんの書き物を読む。何年ぶりか、5年近くは読んでない気がする。私が淳之介さん淳之介さんと、さん付けで言ってしまうのは約20年前、正確には97年にNHK朝の連ドラで「あぐり」をやっていてそれを見ていたからだ。その時は小学生だが毎日遅刻ギリギリだった。

 ふと思って吉行あぐりさんは、今何歳だろう、と調べたら2015年1月に鬼籍に入られたようだ。107歳であるという。吉行家は、吉行和子さんだけになってしまったのだなあ、と時の流れの嫌な部分を感じてしまった。第三の新人は殊の外、好きだ。第一次、第二次戦後派の人達は長篇志向なのが特徴だが、あえて短篇に戻り私小説的な運動をやっていたから、実を言えば、安岡も含めて、遠藤周作はまたちょっと違うから除外しても、短篇の方が圧倒的に面白いというか巧い。「星と月は天の穴」はどうだろうか。

 

 さっきやっていた大井の交流GI帝王賞ではアスカノロマン単勝1000円複勝2000円だけ張っといたが、見事に外れていた。コパノリッキーが思いの外自在性を獲得していて、4角曲がる時に、外からコパノリッキーが上がってくる段階で、2番手につけていたアスカノロマンの鞍上太宰が手綱しごきはじめたのを見て、こりゃ3着もないなと思ったらその通りだった。混戦になると交流重賞は難しい。多点数買えないから絞って勝負するしかないので。それにしても武豊は去年も今年もなんだかんだで絶好調なんじゃないか。歳には勝てないからリーディングは諦めているだろうが海外含めて快進撃している。私の馬券を邪魔しないのであれば大いに頑張って欲しいと思う。