2016 なんで小説を書くのだろうか (雑感)

 なんで小説を書くのだろうか、と今日、いや応募作を郵便局に持って行った帰り道(09/06)でも少し考えた。

 こういう文章を書く場合は時系列的というか昔はこうで、今はこうなのよ、みたいに話を進めたほうが良いだろう。その方が私にとっても都合が良い。

 

 高校生の頃から文芸的な事はしていた。口語自由詩をネットに書いていて、今はなき雑誌「詩学」や、今もある「現代詩手帖」なるものを知ってからはそこへ投稿する事を目的に詩作していた。現代詩手帖の方では、2度、評がついた事がある。よくありがちなこっ恥ずかしい青春時代の一コマではなくて、まあまあの実力は示したという感じか。ま、本当に才能があったなら現代詩手帖賞って言うんだっけかな、そんな感じで詩人デビューするわけだが。

 時は流れて大学に入学し、すぐにイカれて統合失調症を発症して休学している時に始めたのが小説の創作である。これまたネットだ。そこへ投稿し始めた。最初は原稿用紙換算で言えば10枚書くのに必死であったが、これが楽しかったのである。書いている事も楽しかったし、投稿して誰か一人でも感想をくれればそれだけでも嬉しかったし、楽しかった。若干、自己治療的な感じで書いていた面もある。その内、感想がたくさんつくものと、それほどつかないもの、が見分けられてきた。何がウケるのかわかりはじめた、という感じ。

 大学に復学して東京での一人暮らしに戻った時には、なんとか100枚の文量を、今見返すとヘタクソだなあと思うが書けるようになっていた。文學界新人賞へ送る。当然、選考通過などせぬ。でも、この頃もまだ、書く事は楽しい事の範疇であった。100枚前後というのが当時の文學界新人賞の規定であったからだいたい80~120枚で送れという感じの中篇だ。

 今思えば「こういう条件で小説を書け」という注文がついた初の事だったわけだ。だから70枚くらいで終わってしまいそうになった時は苦しく思った。

 しかしながら書いている時も楽しかったし、書き上げた直後はすごく嬉しかった。誰にも評価されなかったし、賞からは完全にスルーされていたわけだが楽しかったのだ。

 この辺りから本を読む数が凄まじくなっていく。だいたい大学より書籍か競馬しか頭にないような日々を送った。今もそうだけどね。

 いわゆる文豪たちのものは全集買って読破して、現代文学は文庫落ちまで待つ、というスタイル。

 

 ちょっと脱線するが、戦前の日本文学では、好き嫌いで言えば答えは変わってくるものの、今の創作態度に影響してくるのは、芥川龍之介谷崎潤一郎、この二人である。芥川の場合、今昔、宇治拾遺等々から翻案する一つのスタイルがあった。これは奇跡的な事なのだ。なぜかといって、今、リアリズムを徹底したってよほど書いている題材がぶっ飛んでいない限り誰も相手にしない。チラシの裏にでも書いとけと言われる。そんな中、芥川は古典の方から引っ張ってくるわけで、古典の物語集などは、現実上ありえないことが起こっている。まあ、パッと思いついたから初期の「鼻」なんてものも、ゴーゴリは措いておくとして、あんな風に鼻だけ巨大になるなんてあるわけがないわけだが、それを書いてしまう。ユーモアとグロテスクである。非現実を幸か不幸か書いていたから芥川は、賞の名前だけではなく、今でも読めるものとして売れているわけだ。そして我々にも刺激を与える。要は日本版のボルヘスを読んでいるようなものだから。

 逆を言えば、芥川の晩期のものは読んでもしようがないものがある。蜃気楼とか海のほとりとかさ、あのへん。あと裁判所だったかどっかで兄貴をただ待っている小説もあって、全集を引っ張り出せばすぐ題名わかるけど、まあええわ。他に夏目漱石の墓参りに行こうとしたら、墓が墓場の何処にあるんだっけか、みたいになって不機嫌になる小説とかね。とにかく、非現実的なものじゃなくて、もっとリアリズムで無感動なくらいのものを書かなきゃイカンでしょ、と谷崎と紙面上で大喧嘩したものがそうで、文芸的な余りに文芸的な、というヤツだが。なんでそういう考え方に、芥川はなったのかというと、これ面倒くさいんだが、一つの側面としてプロレタリア文学がガチで流行ったというのがある。あいつらに負けないような何かを、って考えた時にこの志賀直哉風なものを思いついたみたいな。ごめん、ちゃんとした研究本にあたってちょ。

 ええっとね、確かこの手のものは一冊の書籍にまとめられていて、日本文学論争集だっけかな? ちょっと正しい書籍名を忘れているが、文学的な事柄の論争というのが昔からいっぱいあるのだ。これもまた忘れているのだが、誰が言ったんだっけ、評論家いらねえわ死ねって言った戦前の作家がいたのね。評論家なんて我々作家の書くものに寄生している、口うるさいハエみたいなもんだし、文句言われると腹立つからいらなくね? みたいな事言った作家がおったのよ。もちろん正宗白鳥とかが「ふざけたこと抜かすなボケ、じゃあ一体誰が作品の善し悪し決めるんだよ」みたいに反論していた、確か。

 

 谷崎も、やはり現実的な事柄から離れて、いったいどういう理屈なのかわからない小説がいくつもある。例えば「蘆刈」などがそうであろう(説明するのめんどいから岩波文庫であるから読め)。じゃあ戻ろうか。

 

 インプットをしてアウトプットしていくわけだが、ここらへんで段々苦しくなってくる。他人の評価、つまり新人賞、文学賞を受賞する、あるいはできなくとも選考通過はしたい、となってきた。もうこの承認欲求に取り憑かれたら実際に作家になる以外では治療できない悪夢的状況であるから、やめられるならやめた方がいいぞ。

 そうやって、色々工夫するようになっていく。テクニックも磨けてくる。すると、書いているのが苦しくなってくる。「こんな文章じゃダメだ」とか「こんなプロットで通じるのか」みたいに思えてくる。

 それでも、書き上げた直後は解放感も手伝って嬉しかった。原稿用紙250枚くらいのものを書いて、一応最後まで書いたわけだから。その後連続してそのくらいの枚数のものを書いていくうちに、選考通過し、文芸誌に名前と題名は載るようになってきた。

 とある文学賞の佳作を受賞した。それよりもちょっと前辺りから、ただ書き上げただけでは嬉しくなくなってしまった。推敲の重要性を痛感してきたからである。つまり初稿を書き上げた段階では、まだ折り返しだぞ、という事がわかってきてしまった。

 そうして推敲に手間暇かけていくと、いったい何処まで直せばいいのか、消すべきなのか書き足すべきなのか、凄く悩むから推敲は地獄の作業である。当然、楽しくも嬉しくもない。ようやっと、これでよし、と認めた時に解放感がやってくる、というあんばいになった。

 

 だらだら書いたからまとめると、小説を書いていても楽しくない、むしろ苦しいし、推敲はめっちゃキツイ、というのが今の心境。

 じゃあ、やめちゃえばいいじゃんとごくたまに思うのだが、「書かなければ」という想いが去来する。そこに練ったプロットがあって、パソコンがあるならば、「書かなければ」という気がしてくる。無視して不貞寝しても、逃れられない。誰かにこのような状態は一体何なのか説明して欲しいくらいだ。

 総合すると、書きたい、のだ。色々言ってきたけどこの「書きたい」には沢山の条件が含まれている事はわかっていただけるであろう。産みの苦しみと、言ってしまえばそれまでだが、産んだからには大人まで育てなければならぬ。書きかけの小説に、扶養義務が生じている。

 また私も変化していくだろうし、また色々な条件が増えていくこと請け合いだが「書きたい」という心境、欲望といった方が近いか。これは死ぬまでなくならないかもしれない。

 

 では、ここで記事題名の答え合わせをしよう。

問「なんで小説を書くのだろうか」

答「書きたい」から。

 

 お粗末さまでした。