2016 「夕べの雲」庄野潤三 読書中のメモ+神戸新聞杯、オールカマーの買い目

 『夕べの雲』は新聞連載の連作短篇のていをとった実質の長編小説。読売文学賞受賞。

 面白いかどうかというと微妙としか。いわゆる日常系のものである。明日の競馬が終わってから読めば終えるだろう、あと70Pほど。
 内容はいわゆる日常系の筋のない小説である。この手のものは90年代後半から00年代にかけて流行った。ただ、その近年の流行り物だったのは青春小説で、そして静かに淡いタッチで主人公が成長していく、その間の揺れ動く心理や機微を描いたもの、と言い切って良いと思う。
 これら近年のものに対し、約50年前の『夕べの雲』は一つ違う所がある。頑固といっていいくらいのテーマ性がある。〈家族〉である。色々、微笑ましい事件を見ながら時間が過ぎていくわけだが、どんな小話も最後は主人公の〈家族〉へ帰っていく。

 庄野潤三第三の新人の中でもまあまあ名が売れている方だと思うが、この第三の新人は、よく政治的な発言をしない、と言われるが、メンバーが1920年前後生まれなので当然戦争を知っている。現に庄野潤三九州大学を繰り上げ卒業させられて兵役にとられた。内地で訓練している間に終戦したので戦闘はしていないが。
 で、小島信夫安岡章太郎吉行淳之介遠藤周作も(この遠藤は、キリスト教を題材にしたものが有名すぎて第三の新人らしくないと思うかもしれないが初期の短篇は間違いなく第三の新人のそれである。)戦争を体験して、そして生き延びて作家になった人間達である。
 なるほど、政治的な発言はしなかったかもしれない。しかし戦後という時代をそれぞれの視点でとらえて書いてきた人間達である事には誰も反論はないであろう。
 庄野潤三の場合、それは〈家族〉だった、という事である。余分かもしれないが、この〈家族〉は核家族である。マイホームを神奈川県の生田に建てる所から始まっている。マイホームマイカーの時代状況を当てはめてよいだろうが、たぶん、それほど重要ではない。
 この、戦争を体験している人間と、戦争を知らない人間が書いている日常系の小説では確実に重大な深大なところで、何かが違ってくる。それは、戦争という有事が、ささやかで穏やかな日常を簡単に破壊してしまう、ということをその身で痛いほど知っているかどうかである。
 だから庄野潤三が描いていく〈家族〉が、まるでホームビデオのように、小さくまとまった何でもないような日々を書いているのも、何か事が起これば崩壊してしまう事を知っていて、だから〈家族〉を愛くるしいように掻き抱いて書いているのではないか。
 作家は、書きたいものと書かなければならない事しか書かない。庄野潤三にとって平穏な日々が過ぎていく〈家族〉は書きたいもので、書かなければならなかったのだ。
 まあ、文庫巻末の解説を読めばまた考えを新たにするかもしれないが、今の所こんな感じ。



神戸新聞杯オールカマーもくっそ固い、面白くも何ともない予想になったので買い目だけ。

神戸新聞杯(GII)
◎14サトノダイヤモンド
3連複1頭軸流し
14-5,6,7,8,12,15

産経賞オールカマー(GII)
◎6ゴールドアクター
3連複1頭軸流し
6-1,2,3,5,7,12