2019 『小説のナラトロジー ―主題と変奏 (SEKAISHISO SEMINAR)』 (世界思想社) 感想

 一般に『ナラトロジー(narratology)』は日本では『物語論』という名称で紹介された文学理論の一つであるが、字面からストーリー論のように誤解する人がたまにいるのだけどそれほど単純な物ではない。
 ロシア・フォルマリズム以降、様々に枝分かれしたナラトロジーをまとめあげ大成したとされるジェラール・ジュネットの『物語のディスクールプルーストの「失われた時を求めて」を素材としてテクストを細かく分類して定義したナラトロジーの記念碑的理論書)』によれば、いわゆるストーリー、話の筋を〈物語内容〉、そこに書かれたテクストそれ自体を〈物語言説〉、物語を語る行為を〈物語行為〉とし、大雑把に言ってしまえばその三要素の分析を通じて豊かな読みを実践する理論である。
 
 本書は12人の執筆者の各々(一つだけ例外として共作があるが)が日本国内の近現代小説にナラトロジー物語論)を適用させて論じたものを集めたものである。
 
 順に示せば
 
 (1)筒井康隆虚人たち』『美藝公』――木野光司(関西学院大学文学部教授)
 (2)大岡昇平『野火』――田端雅秀(大阪市立大学大学院文学研究科助教授)
 (3)泉鏡花『伯爵の釵』――北村誠司(奈良女子大学名誉教授)
 (4)永井荷風『珊瑚集』――北村卓(大阪大学言語文化部教授)
 (5)大江健三郎『懐かしい年への手紙』――三野博司(奈良女子大学文学部教授)
 (6)夏目漱石草枕』『虞美人草』『坑夫』――大浦康介(京都大学人文科学研究所助教授)
 (7)森鴎外追儺』――伊藤雅子同志社大学非常勤講師)
 (8)谷崎潤一郎吉野葛』――小山俊輔(奈良女子大学文学部助教授)
 (9)川端康成『浅草紅団』――小澤萬記(高知大学人文学部教授)
 (10)三島由紀夫仮面の告白』『禁色』――荒木映子(大阪市立大学大学院文学研究科教授)
 (11)中上健次千年の愉楽』――小西嘉幸大阪市立大学大学院文学研究科教授)、小林裕史(大阪市立大学文学部非常勤講師)
  *役職名は本書出版の年である2003年当時のもの
  
 となっている。
 
 全ての論考に短評を加えることも中々の難事なのでやめておくが、単にナラトロジー一辺倒というわけでもなく、またジュネットの用語に完全に依拠しているわけでもない、実にバラエティーに富んだ論文集だ。
 その中では物語の構造を分析する過程で語りのレトリックや、様々な技巧なども紹介されている。例えば、荷風の『珊瑚集』では〈パラテクスト〉論、鏡花の『伯爵の釵』では〈埋め込み鏡像〉、川端の『浅草紅団』では〈錯時法〉等々。そしてまた、全論文の中では殊に〈語り〉の問題について多く言及されている。
 それぞれの分析対象となった著名な作家たちの作品には、時には代表作とは言えないややマイナーなものが俎上に載せられているが、先述したレトリックや技巧がどのように運用され、作用しているかといった事も少なからず論じられているので、仮に分析対象の作品が未読であっても十分に楽しめると思われる。
 ただの読書ではなく多様で豊かで深い読みを実践したい人にとって、そして今現在よりももっとうまい、もっと巧みな創作をしたい人にとっても、ナラトロジー物語論)の分析の中から得られる手法と知見はきっと役に立つし、興味を掻き立てられるはずと一読して確信できた。良書である。