2019 『主題歌』 柴崎友香 (講談社文庫) 感想

 

主題歌 (講談社文庫)

主題歌 (講談社文庫)

 

 

 表題作は2007年度上半期芥川賞候補作。その他、短篇の『六十の半分』『ブルー、イエロー、オレンジ、オレンジ』を収録。
 
 柴崎友香の小説を手に取る時、何が書かれているかではなく、どう書かれているかの方に注目していて、そして期待もしている。技巧が見たいのだ。その観点から言えば、満足できた小説だった。もちろん、話の筋、内容も悪くはないのだけど、どうしても特殊な書き方の方に先に目が行ってしまう。
 
 いわゆる三人称多元視点小説(視点人物を固定しない、複数の登場人物を視点人物とするもの)で、しかも視点移動の頻度が物凄く高い。一例を長いが引用する。
 

実加が箱を下ろそうとすると、電話が鳴った。向かいの机でパソコンに向かっている瀬川課長に目をやるより前に、愛が電話を取った。
「企画管理課です。……わたしは浅井さんじゃありません。……浅井さんはここにいます」
 直立したまま、愛は腕を伸ばして受話器を実加へ向け、販売部からです、とさらに笑顔を作った。ありがとう、と短く応えて実加が販売部と三分ほど話をしている間じゅう、愛は一歩も動かず下ぶくれぎみの顔いっぱいに微笑みを浮かべて実加を見ていた。瀬川課長がパソコンから目を上げ、机に積み上がったファイルや商品サンプル越しに愛を見た。最近テレビでよく見る漫才コンビの大柄な女の子に似ていると思ったが、言うと怒られるかもしれないから黙っていた。
「これ、修正してきました」
 愛は製薬会社の依頼で目薬の新商品につけるミニチュアマスコットのデザイン画を、実加に突き出した。ありがとう、とまた短く言いながら実加は出力されたカラーのイラストを確認した。社名のロゴは新しいものに変更され、位置も先方の指定した通りになっていた。
「じゃあ、ほかの三種類も同じように直して、小田さんに回してくれる」
「はい」
 愛は褒められた子どもみたいな顔をしていた。背が高いというよりは「でかい」という印象の愛と、赤いフレームの眼鏡をかけた小柄の実加を、瀬川課長は見比べていた。(pp.10-12)

  
 最初の視点人物は実加(ミカと読む)で、次は「愛は一歩も動かずに……実加を見ていた」とされている事から愛に視点移動が起こっている。その後すぐに瀬川課長へと視点移動している。その次は会話文を挟んで「愛は……実加に突き出した」とあるから愛に視点移動してる。すぐにまた「ありがとう、とまた短く言いながら実加は……確認した」とあるから実加に視点移動していて、最後に瀬川課長に視点移動している。
 たぶんこの分析であっているはずだと思うが、間違いがあるかもしれない。それにしてもたったこれだけのシーンの中でここまで頻繁に視点移動する小説は中々ない。なぜないのかと言うと、視点移動したポイントを追ってみようと試みた今の私ですら自信が持てないように、読み手をひどく混乱させるからだ。
 読み手を混乱させるリスクはつきまとうが、それに見合った成果は出ていると思う。
 同じ〈場〉にいる、とある人物がAの事を考えている時に、別の人物はBの事を思っている、といった複雑ではあるが現実では実際に起っているであろう現象を、そして現象が起こっているその〈場〉を、文字だけで再現しようとするならこうせざるを得ないのではないか。こうすることでその〈場〉という空間が立体的に浮かび上がってくるのが実感できた。同時に相変わらず攻めた小説を書く人だなあと感心してしまった。
 一つ断りを入れておくと、本作の全てがこの書かれ方をしているわけではなくて、複数人が一箇所に集まったここぞの時に効果的に使用されている。
 
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 小説の内容について言うと、引用部分で既に顔を見せている実加という美大出身のOLが主人公で、舞台は大阪。登場人物はかなり多く、社内の友人であるいつ子や小田ちゃんの他にイラストレーターをしている花絵、美大時代の友人である男性の森本、その知り合いのりえ、実加の彼氏の洋治、それから引用部分に出てきている瀬川課長や愛、等々であるが、だいたいはいつ子、小田ちゃん、花絵、森本とのお喋りで小説は進行していく。
 
 本作にはメインと呼ぶべき内容とサブとして扱うべき内容の二つの話の流れがある。サブの方が前景化されていて、メインの方が背景化しているきらいがあり、癖のある構成をしていて読み手に優しい小説とは言えないが、テーマは柴崎友香の小説にしては案外掴みやすい方ではないかと思われる。
 
 
 サブとして扱うべきは〈かわいい〉女の子が好きな女性たちの話の流れの方だ。小田ちゃんや花絵も相当な〈かわいい〉女の子好きで何処かの店に入れば女性店員の〈かわいい〉部分を指摘したりする。程度に関しては実加が突出している。付録に「永遠のセクシー女優名鑑」がついてくるアメリカ版プレイボーイ(日本の週刊プレイボーイではない)を入手して中身に見入るほどだ。
 しかし彼女たちに同性愛的傾向は見られない。じゃあいったい何を意味しているのか、考えてみたがいわゆる「性の商品化」に対する抵抗なのかもしれない。
 フェミニズムに明るいわけではないので的外れな事を言っていないか戦々恐々としているが、気にせずに続けると、プレイボーイに夢中になる実加が良い例で、男性が消費してきた女性のポルノグラフィーを、実加は性的興奮もなしに〈かわいい〉と愛でている。この事を考え詰めていくと本作には〈かわいい〉女の子を男性から奪取する意図があるのではないかと思うようになった。
 恐らくは扇情的なポーズをしていると思われる永遠のセクシー女優たちも、同性から性的興奮のない〈かわいい〉という言葉で断定されてしまえば、ポルノグラフィーとしての、商品としての価値は消失すると言えなくはないか。
 あくまで〈かわいい〉のであって、〈きれい〉ではない。〈きれい〉という言葉は意識的に除外されたかのように一度も作中に出てこない。〈きれい〉というとその対象との間に距離感があるように個人的に思える。だからなのか、実加は〈かわいい〉と言えるものを、たとえば旧来型の価値がなくなったアメリカ版プレイボーイと付録の「永遠のセクシー女優名鑑」を手元に置いておけるのだし、置いておきたいと思うのだ。
 
 メインと呼ぶべきは、実加の友人知人にいるアマチュア画家や、売れないバンドマンたちが経済的に、そして社会的に、いよいよ瀬戸際に立たされてきた事を憂う話の流れの方だろう。実加自身が美大出身だからそういう知り合いが多いわけだけども、歳を重ねるごとに活動しづらくなっていき、知っているバンドの解散も相次ぐ現実に寂しさを覚えている。同人的な、あるいはアマチュア活動だから金にはならない、けれど、たとえ商品としての価値がなくとも素晴らしいものはたくさんあるのに、それがなくなっていくのは残念だ、と実加は心底から思っている。
 
 サブの〈かわいい〉女の子が好きな女性たちの話の流れは、ふとした事がきっかけで実加が思いついた「女の子限定カフェ」なる企画で佳境を迎える。実加の賃貸アパートの部屋を利用した女子会、ホームパーティーのようなもので、実加たちが〈かわいい〉と思えた女性たちを可能な限り招待し、多い時間帯で10人、少ない時間帯でも6人が室内にいる状態を保ち、常時お祭り騒ぎをするというもの。この「女の子限定カフェ」は序盤で設営の手伝いをしていた実加の彼氏である洋治が仕事で出ていってしまうので、本当に女性だけの空間になってしまう。
 擬似的ではあるものの、〈かわいい〉女の子を男性から取り上げる事に成功している。それはつまり商品として見ようとする視線、価値観をも締め出して否定する事に形としては成功していると言ったら大仰だろうか。ともあれ、ここはクライマックスではない。
  
 メインの、そして本作全体のクライマックスは小田ちゃんの結婚式のシーンであることは間違いない。
 実加にとっては見も知らぬ女が突然に歌を唄いだす場面があって、彼女もまたアマチュアでプロではないが、彼女の歌を聞いていた者たちは心を奪われてしまう。実加の心境は以下のよう語られる。

テレビやラジオで流れたりすることはなくて、誰かにお金を出して買われることもないだろうけど、彼女の歌が素晴らしくて、ここにいる小田ちゃんの友人たちがこの歌を心からいいと思ったから、それでいいと思った。この歌がここで歌われたことは消えてしまわない、と実加は、自分でも不思議なくらいはっきりと強く思った。(p.135)

 これ以上の言葉の継ぎ足しが蛇足になってしまいそうな決定的な語りだが、『主題歌』という表題の由来も恐らくはこの場面にあるのだろうし、何よりこの語りの中には商品化から解放された〈かわいい〉女の子も恐らく含まれているのだろう。世間の評判や金銭では定めることができない価値を持つもの、それが何なのかはっきりと言う事はできないけれど、それを考え、見つけ出すためのヒントが本作の中には確かにあるように思える。