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2018 『新装版 海も暮れきる』吉村昭(講談社文庫) 感想

 

新装版 海も暮れきる (講談社文庫)

新装版 海も暮れきる (講談社文庫)

 

 

 「咳をしてもひとり」の自由律俳句で有名な尾崎放哉が、小豆島に移住して病死するまでの八ヶ月を描いた伝記小説。
 ずいぶん久しぶりに吉村昭を読んだ。吉村昭はかつて純文学方面で頑張っていて、なかなか目が出ず、伝記小説に鞍替えしたという経緯を持つ。それゆえか、硬派な文体でありながら、大衆小説らしい読みやすさも同居する得難い作風の持ち主となった。

 

 尾崎放哉については、読む前に多少の情報は得ていた。あまり良い性格の持ち主ではなかったらしく、東京帝大法学部卒という学歴や、エリート会社員だった過去を鼻にかける人物だったとのこと。
 この情報から描いた私の尾崎放哉像は、周囲から人々が去っていき、小豆島で全くの孤立状態に陥るが、しかし孤立は却って好都合、もってこいだと開き直り、ひたすら句をひねっている……という感じだった。世を捨てた、孤高の俳人というかなんというか。
 しかし本書を読むとそうでもなかった。
 まず強調されるのは酒癖の悪さだ。酒乱であったという。たいして強くもないのに酒が大好きで、すぐ酔っぱらってしまう。すると急に毒舌家になって、場を白けさせてしまったらしい。本書の中で直接言及されていないものの、中程度のアルコール依存症だろう。会社の要職から追われたのも、妻に去られたのも、親類縁者に疎まれているのも全て酒癖の悪さと怠惰な生活態度によるという。
 酒での失敗は、私にも数え切れないくらい、たくさんある。私も放哉と似たようなもので、たいして強くないくせに酒好きで、毒舌家にはならなかったが極度の笑い上戸になる。調子に乗ってしまうのだ。酒のせいで関係が壊れてしまったことは数回だが、ある。
 だから、というわけではないが、放哉のだらしなさには共感を覚えるし、良くも悪くも人間臭い奴だったのだな、と思ったものだ。
 孤高の俳人、というイメージはすぐに崩れた。じゅうぶん親しみを持てる人物だったのだ。

 

 学歴や職歴をひけらかせるような態度はさすがに本書にもあった。また、自分が既に高評価を得ている有力な俳人であることを自負した上での、驕り高ぶる態度もあった。言ってしまえば現在はただの無職のオッサンであるくせに、自省せず、金や食い物や住居を無心する。そして自分のような高学歴で天才の人間は、学歴が低くて俳句の才能もない相手から施しを受けて庇護されて当然だ、と開き直ってしまっていたりする。
 こう書くとただのクソ野郎だが、本当に援助されると、その厚意にいたく感動してやまない姿が描かれている。強がりを言いながらも、心中では感謝している。こういった態度もまた、妙に人間臭さを感じさせるのだ。
 
 後半部では、放哉の結核が悪化していき、ついに死ぬまでの様子が執拗に書かれている。吉村昭自身が、かつて結核で死の寸前までいったことがあるそうで、その時の体験が反映されているとのことだ。確かに、結核が亢進していく様子は、あまりにもリアルで、あまりにも凄惨だった。それが憐憫を誘うのか、ページをめくる手が止まらず、あっという間に読んでしまった。
 
 これはあくまで伝記小説なので、どこまで本当だか分からない。吉村昭が都合よく変えて書いてしまっている部分もあるのだろう。それでも、俳人というとっつきにくい材料を使って、魅力的な伝記小説に仕上げた吉村昭の腕前はさすがである。孤高の俳人ではなく、一人の人間が確かに描き出されている。優れた伝記小説だった。