2018 予想 第20回東京ジャンプステークス(J・GIII)

 荒れる障害重賞、東京ジャンプステークスを予想する。何で荒れるかというと、障害レースは基本的には先行馬圧倒的有利なのだけど、東京障害コースだとそうはいかないから。
 ハードル障害が一つあるものの、直線は463mある。差しがバシバシ届くのだ。
 そして、今年の出走馬は逃げ馬が多い。先頭集団にとりついていくような馬より、やや控える馬、差し馬を貪欲に狙っていきたい。

 

◎6ジャズファンク
 今春に障害入りしてから2戦して1勝2着1回の連対率100%で、前走も昇級初戦であることを全く苦にしない走り。
 その前走だが、4番手前後で競馬を進め、直線に入って追い上げるも惜しくも2着。ほぼ勝ちに等しい内容だったし、何よりその前走は東京障害コースだった。3,4番手に控えてくれる脚質もよい。特に今回は逃げ馬が多くペースが流れると思うので、道中じっくり構えられるこの馬が有利ではないか。
 むろん、他にも控える脚質の馬はいるのだが、障害入りしてまだ底を見せていない点に魅力を感じる。

 

◯9シンキングダンサー
 軸にしようか大変迷った馬。前走の中山グランドジャンプの危なっかしい飛越を見ているとちょっと不安になってしまった。とはいえ、昨年の東京ジャンプステークス覇者で、オープン特別の秋陽ジャンプS(東京3110m)も勝っており、東京障害コースでは2勝とこの舞台との相性は抜群で、中団に構える脚質も非常に良い。
 飛越にミスがなければ、勝ちきっても不思議ではない。
▲8アスターサムソン
 前走の京都ハイジャンプでは本命にしてお世話になったけど、その前走は前に行く馬がほとんどいない、という状況があった。今回では様相ががらりと変わっている。よって引き続き本命、とはできないのだけど、しかし思った以上に強い勝ち方をしたので単穴評価で。粘り込みの3着以内、十分に有り得るだろう。

 

△1マイネルフェスタ
 障害重賞ウィナーでかつ、前年の当レース4着。戦績を見ると、どうも東京障害コースを得意にしているとは見えないのだが、脚質的にはこちらの狙いと合っているのでおさえる。
△3サーストンコンラルド
 前走の昇級初戦は5着に終わったものの、2走前の障害未勝利戦の勝ち方がすごい。7番手からまくって大差勝ち。実績面で見劣りするが、侮れない。
△4ミュートエアー
 3走前に春麗ジャンプS(東京3100m)で3着がある。近2走も番手競馬なのであって、どうしてもハナにという馬ではない。道中、無理して位置をとるのではなく、それこそ3走前のようにじっくり構えてくれれば。
△11タマモプラネット
 実績馬。東京ハイジャンプ3着がある。安定感があり、相手なりに走る馬だし、先行勢ではアスターサムソンと互角か、それ以上の能力は持っているだろう。そのアスターサムソンと同じく、逃げ残りを警戒して、おさえ。

 

 さて、買い目だけど、普段の障害重賞ならフォーメーションを組んででも、少数点におさえてきたけど、このレースの場合、荒れるので、広めに網を放りたい。

 

買い目 3連複軸1頭流し 
6―1,3,4,8,9,11 15点

グッドラック!!

2018 『極楽とんぼ 他一篇』里見弴(岩波文庫) 感想

 長篇『極楽とんぼ』(初出「中央公論昭和36年1月号)、他に短篇『かね』(初出「改造」昭和12年1月号)を収録する。
 里見弴――、寡聞にして実兄に有島武郎、生馬を持ち、白樺派に属す、といった程度の知識しかなく、そのせいかどうか、なかなか手が伸びない作家だった。本書収録の二篇を読み終えて、なぜもっと早く読まなかったかと悔やんでいる。とても面白い小説だったからだ。
 ことに文体がとても良くて、読点で息継ぎしながら長く長く伸びていく文章は軽妙洒脱。饒舌体との一言では説明が不十分、「小説家の小さん」(柳家小さんの名から)との異名があったそうだが言い得て妙で、軽やかで流れるような粋な文章を読んでいると何だか寄席に来たような気持ちになる。目で文字を追っているのに、いつの間にか耳で落語を聞いているような感覚になって、あっという間に惹き込まれてしまった。
 
 表題作『極楽とんぼ』は富裕で子沢山な吉井家の七人兄弟のうち、三男坊として明治18年に生まれた周三郎という道楽者の人生を先に述べた独特な文体で綴っていく。
 題名の通り、のほほんとしたお調子者で、怠け癖がひどく、学校嫌いで頭も鈍く、進級試験に落第、原級留置を何度も食らうくだりは思わず苦笑するとともに、劣等生として嫌な思いもして苦労している様も見受けられる。屈辱もあった様子。
 一方で性の目覚めは早く、次第に女遊びに手を出し、身を立てるなどできない甘ちゃんだから金を無心しいしい、遊び放題。けれども惚れ込んだ女ができればきっちり愛して、割合、一本気めいたところもあって軽薄とは言い切れず、憎めないとはまさにこのこと。
 飄々と、場当たり的な適当さで呑気に空中に浮かぶトンボのように、のらりくらりと過ごしていくが、年を食えば避けられない死別など、楽しいばかりでなく哀しい出来事があるのが世の常というもの。父の死や妻の自殺、阿片中毒になった遊び仲間の発狂などには大泣きするし、関東大震災や戦争など、時代は暗くなってゆき、剽軽さを発揮する場も少なくなって、悲哀の色が濃くなり、さすがの周三郎も何度かどん底に落ち込む。
 それでも持ち前の明るさといい加減さを取り戻し、何度でも立ち上がる姿には胸に来るものがあった。良いこともあれば悪いこともあるし、笑いあれば涙もある。人間の一生を過不足なく描き切っている傑作と思う。
 
 併録作『かね』は犯罪奇譚と言ってしまえばそうかもしれないが、やはり一言では言い表し難い佳品となっている。
 主人公の他吉は勉学が一切できず、早々に丁稚に出されるが、どこに出しても仕事が覚えられずに時には実家に返されてしまう哀れな男だ。おまけに吃音もあって、馬鹿にされ、いつしか自ら口をつぐみ、孤独でみじめな日々を送る内に、ずいぶんと時間が経って五十の坂を越してもなお、雑用程度しかこなせない下使のまま、誰とも仲良くなれぬまま、敗残者として年を食っていく。死に病となった父の介抱をしている時に、父が言い放った言葉が他吉の一生を大きく変える。 
「一生の間に、何かひと仕事し残さなくては駄目だ。ああ、俺も、あれだけのことをしたんだからと思えば、ほんとに、にっこり笑って死ねる。残念ながら、俺にはそれがないのだ。(…)ひとつ、ひとが吃驚するような大仕事を仕出かしてみろ。(…)一生何一つ仕出かさずに死ぬということが、あんまりいい気持のものではない、ということだけ話して聞かせて置きたかったのだ。」(pp.194-195)
 最初は下使として勤めていた銀行の上役からこのくらいならできるだろう、と多額の現金を別銀行に届ける役目を任されて、運んでいる際、やるなら今だ、と一大決心をし、現金を持ち逃げする。これがうまくいったことを機に、大金持ち逃げを何度も繰り返す。しかし、逃走先として朝鮮や満州にまで行きながら、持ち逃げを繰り返してとんでもない額になっていた金に一切手を付けなかった。他吉の往生の際には、楽そうな、と形容される。
 つまり、金額ではないのだ。そしてまた豪遊することでもない。大金を盗むという大胆な犯罪=ひとが吃驚するような大仕事、それが出来損ないの人間である他吉の人生を面白おかしいものに変えたわけだ。こうやって書いてしまうと平凡な筋のように思われそうだけども、冒頭に書いたように、独特な語りの文体でユーモアたっぷりに、魅力的に描かれている。
 
 表題作は戦後に書かれたもので、併録作は戦時中のものだが両作とも、馬鹿というか頭が悪い、愚鈍で、無能で、ダメな男の数奇な一生を書いている点が共通している。題材の選び方が面白い。そして、これが重要だと思うのだが、シリアスというか、深刻ぶった箇所はかなり少ない。にやにや笑えてしまう部分は多数ある。機知に富んでいて、軽やかな文体で書かれた二篇の読後感には、爽やかさすらあった。
 なにも暗く重苦しく鬱屈した調子でなくとも、人間を描けていれば立派に文学になると、当たり前のことを里見弴から証明されたような心持ちになった。『極楽とんぼ』も『かね』も笑いながら読める人生賛歌の小説だろう。生きるのは最高だ、ということだ。
 

2018 予想 第23回ユニコーンステークス(GIII)

 府中ダート1600m、3歳限定のユニコーンSを予想する。
 雨がどれほど降るのか、そして馬場が渋って傾向がどうなるのかがわからないのだけど、先週も差しが決まらないことはなかったし、水が浮くような不良馬場まではいかないだろうから、まあ、普通に予想しようかな、と。
 それなりに逃げ馬がいるので少なくともスローペースにはならないはずだ。狙い目は好位や中団、あるいはやや後方の馬だと思っている。ということで脚質逃げ、あるいは前走や前々走を2番手以内で進めていたような馬は軽視。

 

◎14ルヴァンスレーヴ
 ダートのデムーロって、ちょっと不安になるのだけど、馬が強いし、3着以内は外さないだろうと判断。府中ダートマイルはプラタナス賞で経験済みで且つ圧勝しているし、なんと言っても全日本2歳優駿を勝った唯一のGI馬だし。
 脚質的にも多少の自在性がある。先頭集団の後ろ、または後方からでもいける。操縦性の良さもこの馬の魅力の一つだろう。前走こそ2着で連勝は途絶えたが、年明け初戦の叩きとしては優秀な結果。実績を素直に評価して軸。

 

△2タイセイアベニール
 不人気? なのかな。前々走まで芝で走っていて、距離も1200mが主だったから短距離馬と思われて嫌われているのか。前走、初ダートだった端午Sでは上がり3ハロン2位の末脚で2着なのだし、ヒモに入れておくと面白そう。
△3プロスパラスデイズ
 前走は500万条件とはいえ、同舞台で3馬身半つけた圧勝劇だった。強いでしょ、この馬。いや、強いって、マジで。穴馬として結構、期待している。
△5グレートタイム
 面倒くさくてちゃんと印をつけていないが、つけるとすればこの馬が対抗。(2-3-0-1)という戦績で連対率は83%と、非常に安定感ある馬。唯一馬券外だったのが同舞台のヒヤシンスSなのだけど4着なら悲観するほどではない。展開も味方しそうだ。
△7グリム
 ここと同舞台の青竜S組はユニコーンSと相性が良いから入れた。ただハナ争いするくらい前に行ってしまうと直線迎えてお釣りがないと思うので、青竜Sの時のように4番手前後に控えてくれれば。
△8ハーベストムーン
 逃げ馬で入れるとしたらこの馬しかいない。あとはいらんでしょう。5戦して着外が一度もないのだから、おさえておかないと怖い。
△10バイラ
 端午Sを強い内容で差し切り勝ち。有力馬の一頭だ。外せない。

 

買い目 3連複軸1頭流し
14―2,3,5,7,8,10 15点

グッドラック!!

2018 予想 第71回鳴尾記念(GIII)

 阪神、芝内回り2000mで行われる鳴尾記念を予想する。
 開幕週であること、外回りではなく内回りであること、この二点に注意したい。つまるところ、先行有利ということだ。ただ、とにかく前に行けばよいとか、逃げればよいというわけでもない。道中、4,5,6番手辺りに控えて、好位差しできる馬がベスト。

 

◎2トリオンフ
 脚質的に前に行き過ぎず、後ろに控えすぎず、ちょうどよい位置取りから攻めてくれる。小倉大賞典を勝った時のような競馬をしてくれれば突き抜けるだろう。新潟大賞典は4着だったがタイム差は0.2秒でしかない。大阪杯が8着だったように、まだGIでは怪しいが、GIIIなら勝ち負けできるはずだ。

 

△5トリコールブール
 重賞の好走歴こそないものの、前走の大阪城Sの勝ち方、上がりの33.3秒は凄いものだ。無視できず。
△6マルターズアポジー
 いくら前有利といってもさすがに逃げは垂れてしまうのがオチだが、昨年のステイインシアトルのようなこともある。何よりこの脚質で重賞3勝しているので、怖いし、おさえる。
△7ナスノカイセ
 前走、新潟大賞典3着の際は道中3番手とかなり前目につけた競馬だった。今まではどちらかと言えば差しだったが、前走のような先行策をとってくれると面白い存在になる。前走をフロック視されているきらいがあるし、狙い目だろう。
△9タツゴウゲキ
 昨夏に、重賞2連勝したように能力があるのは分かっている。先行する脚質にも魅力を感じる。9ヶ月の休み明けを嫌ってヒモにまわしたが、勝ってしまってもおかしくはないと思っている。
△11サトノノブレス
 2016年の鳴尾記念覇者。8歳馬だが、今年の金鯱賞も2着と、衰えを感じさせない。脚質も中団から攻めるタイプ。おさえる。

 

買い目 3連複軸1頭流し
2―5,6,7,9,11 10点
グッドラック!!

2018 『赤い高粱』莫言(岩波現代文庫) 感想

 中国現代文学を読むのは初めてのことだ。本作の作者である莫言の2012年ノーベル文学賞受賞がなければ、私の狭い視野に入ってこなかったかもしれない。
 日本と中国は漢字文化圏でありながら、発音の違いのせいで、本書では少々厄介なことが起こっている。主に人物名などの固有名を漢字で表記して、読みは中国語発音が付されており、慣れるのにとても苦労した。よっぽど漢字を開いて、カタカナで表記した方が良かろうに、と若干不満を思ったが、まあこれは措いといて。
 
 舞台は山東省高密県の東北郷という架空の土地だ。そこで〈わたし〉の一族の物語が展開される。土着的、土俗的であり、時間軸もバラバラでありながら、一つ一つのエピソードが相互に連絡し、補完し、読み進めていくうちに全体像が掴めてくるというもの。語り手の〈わたし〉の祖母、祖父、父の話が主だったものとなる。
 奇妙な語り手〈わたし〉は一人称のまま、あたかも祖母、祖父、父たちを、1920年、1930年代の時代を知り抜いているかのように、凄まじい内容の物語を語り続ける。注意して読んでいけば、この異様な事態は、口承された物語を東北郷に住まう老いた住民たちから聞き取って獲得したことに拠るものだとわかる。つまるところ、物語のデータベースとして〈わたし〉は存在する(まるでオリュウノオバのように)。実際、〈わたし〉自身は作中には登場しないのだ。そして三人称のように登場人物達の心理に深く分け入り語ってしまうのだから(こんなことは通常であればありえない、小説だからできるテクニックだ)、本作は語られた=騙られたものとして読むべき、と莫言に示されている気がしないでもない。
 こういった形式を見るにつけ、訳者や解説も平然とマジックリアリズムのものであると指摘する。莫言自身もマルケスやフォークナーに影響されたと言っているくらいだ。しかしながら、内容にマジックはあったか? 現実的にありえないような物事があったろうか? むしろ苛烈なほどにリアルな対物描写ではなかったか?
 マルケスよりフォークナー、つまりサーガの体裁が強く反映されてあるのではないか。東北郷サーガと呼んだ方が適切だ。本書は文庫化に際し、一巻の長編を二分割した前篇のようであるから、恐らく『続・赤い高粱』でも東北郷を舞台にした〈わたし〉の一族のサーガが書かれているのだろう。
 マジックがあるとすればこの語りの形式、一点であり、また本作の最大の特徴も、この〈わたし〉の時空を超えた語りにある。
 
 1930年代末の局地的な抗日戦争の様子、当時まだ優勢だった日本軍と、その配下に進んでなった傀儡軍(元中国軍の一部)の蛮行や戦闘が、ありのまま描かれる。銃撃戦での殺し合いの様子や、日本軍によるおぞましい残酷な私刑が克明に描写されるさまには圧倒される。凄惨な光景がありありと像を結ぶ。
 砕ける肉、剥がされる皮、飛び散る血、いとも簡単に失われていく生命。抒情性は一切なく、ドライな構え方が、却って描写の強度を増加させているようだ。
 この地方の伝統的な作物である、高粱の畑が効果的に働く。高粱が、この地方の野蛮で、しかし力強い人間の隠喩であるとの指摘は肯けるものがある。多くの散っていった人間達の血肉を吸い取って死をたらふく食らった大地から栄養を吸い上げる。一方で荒々しい生命の息吹の象徴でもある。祖母と祖父が肉体的に結ばれる場もまた、この高粱畑だった。高粱畑が、善悪を区別せずにこの土地で起こる出来事の全て、住まう人々の運命を何代も何代も見守り、受け止めているようだ。 

2018 予想 第25回平安ステークス(GIII)

 京都ダート1900mの平安Sを予想する。1800mでもそうだけど、下位クラスなら圧倒的に逃げ先行が有利なコースだ。ただ、ダートレースの常として、クラスが上がるごとに差しも届きやすくなる、というより後方脚質でも結果を残せる馬が出走してくる、というのが実情か。
 京都ダート1900mもそのような傾向で、オープンクラスなら先行と差しは互角。さすがに追い込みは厳しいし、逃げもなんだかんだで決まらない。狙うなら、ちょっと控えて3,4番手くらいで進める先行馬か、中団で進める差し馬を中心に。
 今回の平安Sでは、前に行く馬が揃った感がある。だからといって前崩れになるとは言わないが、着拾いのような感覚で馬券内に食い込む後方勢には注意したい。

 

◎6グレイトパール
 久々の復帰戦だった前走アンタレスSを勝ちきった。前年の平安S勝ち馬である。文句なしだろう。中団のやや後ろに控えて、勝負どころで進出できる脚質も魅力。どんな展開にも対応できると思われる。

 

△1ミツバ
 好ステップレースであるアンタレスS2着なので買う。この馬もマクリができるタイプなので、本命馬に比べるとやや信頼感は落ちるものの、最近の調子もよく、おさえておかないと怖い。
△5テイエムジンソク
 流し馬券にするので印に差をつけなかっただけで、対抗なら断然、この馬。フェブラリーSでは惨敗したが、マイルの距離が合わなかった、関東初めて、もちろん府中も初めてだった。なので、前走は目をつぶろう。京都1800にはなるが、昨年のみやこSのように圧勝する可能性だってあるのだから。
△9サンライズソア
 切るかどうか迷った馬。ブリリアントSは、まあ出負けしたのが全てで、途中で競馬をやめていたのかもしれないがオープン特別14着はひどい。しかし前走を度外視すれば買えなくもない。
△10クインズサターン
 注意したい追い込み馬。総武S、マーチSアンタレスSと後方から進めて、速い上がりを繰り出して3着、2着、3着。馬券内食い込みありうる。
△13ナムラアラシ
 これも注意したい追い込み馬。前走のアンタレスSの負け方はいただけないが、不良馬場が合わなかったか。同舞台のオープン特別、アルデバランSを差し切っていて、上位着順が狙える馬と思う。
△14クイーンマンボ
 何頭か牝馬が出走しているが、中央の混合ダート重賞での牝馬の扱いは難しい。関東オークスなど、ダート長距離に適性がありそうなこと、昨年のことになるが混合の兵庫CSで3着している実績から、一応おさえておく。

 

買い目 3連複軸1頭流し
6―1,5,9,10,13,14 15点
グッドラック!!

2018 『新装版 海も暮れきる』吉村昭(講談社文庫) 感想

 

新装版 海も暮れきる (講談社文庫)

新装版 海も暮れきる (講談社文庫)

 

 

 「咳をしてもひとり」の自由律俳句で有名な尾崎放哉が、小豆島に移住して病死するまでの八ヶ月を描いた伝記小説。
 ずいぶん久しぶりに吉村昭を読んだ。吉村昭はかつて純文学方面で頑張っていて、なかなか目が出ず、伝記小説に鞍替えしたという経緯を持つ。それゆえか、硬派な文体でありながら、大衆小説らしい読みやすさも同居する得難い作風の持ち主となった。

 

 尾崎放哉については、読む前に多少の情報は得ていた。あまり良い性格の持ち主ではなかったらしく、東京帝大法学部卒という学歴や、エリート会社員だった過去を鼻にかける人物だったとのこと。
 この情報から描いた私の尾崎放哉像は、周囲から人々が去っていき、小豆島で全くの孤立状態に陥るが、しかし孤立は却って好都合、もってこいだと開き直り、ひたすら句をひねっている……という感じだった。世を捨てた、孤高の俳人というかなんというか。
 しかし本書を読むとそうでもなかった。
 まず強調されるのは酒癖の悪さだ。酒乱であったという。たいして強くもないのに酒が大好きで、すぐ酔っぱらってしまう。すると急に毒舌家になって、場を白けさせてしまったらしい。本書の中で直接言及されていないものの、中程度のアルコール依存症だろう。会社の要職から追われたのも、妻に去られたのも、親類縁者に疎まれているのも全て酒癖の悪さと怠惰な生活態度によるという。
 酒での失敗は、私にも数え切れないくらい、たくさんある。私も放哉と似たようなもので、たいして強くないくせに酒好きで、毒舌家にはならなかったが極度の笑い上戸になる。調子に乗ってしまうのだ。酒のせいで関係が壊れてしまったことは数回だが、ある。
 だから、というわけではないが、放哉のだらしなさには共感を覚えるし、良くも悪くも人間臭い奴だったのだな、と思ったものだ。
 孤高の俳人、というイメージはすぐに崩れた。じゅうぶん親しみを持てる人物だったのだ。

 

 学歴や職歴をひけらかせるような態度はさすがに本書にもあった。また、自分が既に高評価を得ている有力な俳人であることを自負した上での、驕り高ぶる態度もあった。言ってしまえば現在はただの無職のオッサンであるくせに、自省せず、金や食い物や住居を無心する。そして自分のような高学歴で天才の人間は、学歴が低くて俳句の才能もない相手から施しを受けて庇護されて当然だ、と開き直ってしまっていたりする。
 こう書くとただのクソ野郎だが、本当に援助されると、その厚意にいたく感動してやまない姿が描かれている。強がりを言いながらも、心中では感謝している。こういった態度もまた、妙に人間臭さを感じさせるのだ。
 
 後半部では、放哉の結核が悪化していき、ついに死ぬまでの様子が執拗に書かれている。吉村昭自身が、かつて結核で死の寸前までいったことがあるそうで、その時の体験が反映されているとのことだ。確かに、結核が亢進していく様子は、あまりにもリアルで、あまりにも凄惨だった。それが憐憫を誘うのか、ページをめくる手が止まらず、あっという間に読んでしまった。
 
 これはあくまで伝記小説なので、どこまで本当だか分からない。吉村昭が都合よく変えて書いてしまっている部分もあるのだろう。それでも、俳人というとっつきにくい材料を使って、魅力的な伝記小説に仕上げた吉村昭の腕前はさすがである。孤高の俳人ではなく、一人の人間が確かに描き出されている。優れた伝記小説だった。